アベちゃんと、日暮里駅で待ち合わせ。
 
25年ぶりに、改札口の向こうに姿を現したアベちゃんは、
 
歩き方ですぐわかったが、オイッ、埼玉は雪降ってんのか?というほどアタマ真っ白。
 
「な~に言ってんの、そっちだって・・・」と言われながら、肩を抱き合い腕をとりあって再会を喜んだ。
 
 
 
「アタマ以外に悪いところはないのか?」
 
あの頃の誰それは 生きてるのか死んだのか?
 
碁の会場までの道すがら、大声で情報の交換をしながら旧交の暖め合い。
 
 
 
 
アベちゃんやボルボに、大塚さんの話しを聞きたいというS夫妻とは1時の待ち合わせ、
 
それまで、碁を打とうという段取りだったが アベちゃんはやる気マンマン。
 
最初から会費を払って参加するという。そりゃ願ったりや・・・
 
 
 
ウデの程度がわからないので、先ずカンジチョーと一戦、持ち点を決めてからは
 
古くからのメンバーのような顔して打ちまくり。
 
そうして、待ち合わせの時間になり 現れたのが
 
 
 
 
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Sさんの奥さんというのは、スポーツジャーナリストの長田渚左さんだった。
 
先の東京五輪の名花といわれた、ベラ・チャスラフスカの本を執筆中ということで、
 
当時、彼女に刀を贈った大塚さんの話を、ボルボやアベちゃんから取材。
 
さすが本を書く人は違う、ささいなことまで興味を示して熱心に聞き・・・
 
 
 
チャスラフスカは、いわゆる「プラハの春」以降、不遇の時代が続いたにもかかわらず
 
次のメキシコ五輪でも活躍、帰国後も大変な迫害弾圧受けたが 贈られた刀に勇気づけられたという。
 
2年前の東日本大震災の折には真っ先に日本に飛んできて、被災した子供達を逆に勇気づけたいと
 
大船渡や陸前高田の30人をチェコに招待したという、そんな話もしてくれたり。
 
 
 
 
取材のあとは、引き続いての熱戦。
 
アベちゃんとの対戦は完敗したが、4勝2敗で2着賞金ゲット。
 
アベちゃんも3勝3敗の五分でオワリ、帰りにはその賞金でビールを飲み、アベちゃんはこれから毎月来るだァ?
 
もう会うこともないと思ってたアベちゃんと、こんな偶然に出会うことができ これも大塚さんのおかげかァ。
 
 
 
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  ←しかし、ベラ・チャスラフスカって聞いてわかる人 どんくらいいるんだろ?