猪瀬都知事がバタバタしている。
ああいう風にわざとらしく、小声でボソボソ言う奴ァ胡散臭ぇんだと
ゴルフの昼食時によく話していたが、大体 作家が政治に首突っ込んじゃいかんだろ。
慎太郎もナンだが、猪瀬とはモノが違う。
今回のことだって、そんな金は知らねぇって言って あとは黙ってりゃよかったんだ。
そんなハラもなく、いい加減なことペラペラしゃべってるから話がおかしくなってくるんだ。
1970年の昨日、三島由紀夫が市谷の陸上自衛隊総監室で自決した。
冬の始まりの季節、弱々しい日差しが斜めに射す午後 京都四条河原町の交差点で信号待ちをしていて
ふと、肩越しに前の人が読んでた夕刊紙に目をやると、「三島由紀夫割腹自殺」の大見出しに
バルコニーで制服鉢巻、拳を振り上げて演説している写真。
ヒザの震えがしばらく止まらなかったな。
この事件に至る三島の生涯を描いた作品に、 猪瀬直樹氏の『ペルソナ』がある。樺太庁長官だった祖父の代か
ら、官僚の日常性と三島の生き方とを対比させた力作だ。 ▼猪瀬氏は事件で三島自身が作った「自死の設計
図」が、いくつか狂ったことを指摘する。切腹前バルコニーから自衛官に決起を うながした場面もそうである。三
島の意に反し、自衛官たちは決起に応じるどころか「ばかやろう」「引っ込め」と罵倒するばかりだった。 ▼『ペ
ルソナ』によれば当日、市ケ谷の主力部隊は富士の演習場へ行っており、残っていたのは通信などにあたる隊
員らだった。 三島はそのことを知らず誤算のもととなった。その上で猪瀬氏は、最期まで自らの設計図通りにい
かなかった三島の心境を思いやる のだ。 ソース(MSN産経ニュース・11/24付産経抄
誤算はダレにもある。猪瀬もオリンピック招致までは設計図通りだったろう。
オレのゴルフなんて誤算だらけや。設計図通りにいきゃ苦労はしねぇ。
このまえの開場記念杯も、20位以内はゼッタイだと思ってたのに93打って早々に退散した。
今日、パコーン君に一応順位を聞いたら、
「ワタシもdaioさんもゼンゼン圏外ですよ」
「なんでオマエ、そんなに嬉しそうに言うんだよ!」
「フォアー言う準備してるから」とか、
他人の悪口言ってると自分に返ってくるから、ゴルフも余計なこと言わねぇに限るな。
しかし、あれから43年!人の世も移りゆき、あの頃一緒に騒いでいた連中も
散りジリになって社会にでて、今や悪戦苦闘の末 みな前期高齢者と呼ばれるカタマリ。
三島がハラを切る前に思い描いた日本は、大義はどこにある?