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暑い一日だったな。
 
朝、きれいに咲いてたクチナシには 細かい虫がたかって
 
良い匂いのするところに、まあ しょうがないな。
 
 
 
このクチナシの楕円形の実は、口をあけることなく
 
黄赤色に熟すことから口ナシと呼ばれるようになったとか。
 
 
 
大昔の映画「旅情」のラスト、汽車に乗って去ってゆくキャサリン・ヘップバーンに向かって
 
イタリアの伊達男のロッサノ・ブラッツイが、クチナシの花を掲げるシーンがあったな。
 
駅のホームの突端まで追いかけて、白いクチナシをかざす男に、
 
女は、わかったというように投げキッスを繰り返して・・・
 
キャサリンという源氏名のやつは見たことがあるやろ。
 
 
 
今週末は7月囲碁例会、他に楽しみのないジイサン連中が
 
「クビを洗って来いよ」と、手ぐすね引いて待ってて、
 
最近は、ハンディがきつく大苦戦だ。
 
 
囲碁から出た言葉に「傍目八目」(おかめはちもく)というのがあり
 
傍でみている人は、やってる人より八手も先が見えるという、
 
すなわち、もの事は当事者より傍観者のほうが良い考えや判断ができるという例えだ。
 
 
 
確かに観戦していると、対戦者が気づいてない良い手が見えて、
 
つい、ア~ダコ~ダ クチを出したくなるが、ホントに言っちゃうと
 
「やかましい、金がかかってるんだぞ」と、半分ホンキで怒られる。
 
 
 
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で、ここからが物語りのはじまり。
 
←碁盤の下についてる足をクチナシといい
 
クチナシの実のカタチをしている。
 
 
 
 
 
当然、対局者に対し 部外者が余計な口出しをするのを戒めるイミだと思っていた。
 
しかし、聞いてみなきゃわかんねぇもんだね~。
 
 
 
今しがたネットを見てたら、それは俗説であってホントの意味はもっと高尚なものだった。
 
今から2千年も前の、中国は晋の時代に考えだされた囲碁は、
 
別称「手談」と言われてる通り、盤をはさんで碁を囲めばまったく無言、
 
”口ナシ”で対局者の情意は通い合うところからきたものだというのだ。ヘ~3っつ。
 
 
 
今度の土曜日、俗物の集まりのジイサン達に
 
ウケウリのノーガキを垂れてくるかな。