
朝6時発の新幹線で名古屋まで行き、高速バスを乗り継いで信州でオジの49日法要。
さすがに信州の風は冷たかったが、法要の場は暖房が効き
皆の声明の声がいいハーモニーを奏で、手を合わせ目を閉じてると妙なる調べとなって・・・
昔、京都の三千院の奥に行き、ポンッと飛び越えられそうな二つの小さなせせらぎの
一つを呂川、もう一つを律川といって、お坊さん達がその重なり合う流れの音を聞きながら
声明の修業をしたんだそうなと、知ったかぶりを言いながら水辺の岩に座って・・・
あれはいつ頃の季節だったんだろう?あいつは靴を脱ぎストッキングをはいたままの足を水に漬けて
その時、わき腹がなんとなくツンツン
ハッと我にかえると、目の前に焼香をするアレが・・・ヤバッ あわてて済ませてヨコに廻した。
ちなみに、呂律(ろれつ)が廻らないとはここからきた言葉で、二つの調和がとれてないこと。
つまり酔っ払い状態?
たくさんの陽の当たる墓地で納骨を済ませ、会食をしたのち
地学の先生をしていたオジに、一度、化石を掘りに行こうと誘われたまま
果たせなかったことなど思い出しながら、
帰りは逆周りの飯田線で岡谷まで出て、”あずさ”。
グルッと一回りした、一日の電車とバスの移動距離としては自己新の旅であった。