1969年。
もとより学校なんて行ってなかったが、
暮れから1,2月の寒い時季はアルバイト先が大忙し。
行きたくねェなと寝ていると、社長が日産ローレルに乗って迎えにくる。
玄関先でブッブッーとクラクションを鳴らされた日にゃ袋のネズミだった。
京都の染物屋の三階の屋根裏部屋が、社長一人の秘密工場。
とにかく最初に教わったことは、二階で人声が聞こえたら、
三階に通じる急なハシゴの上のフタを閉じろと言うことだった。
先輩にコッソリ聞いたところによれば、無許可で税金も払わない違法操業だったらしいが
こちらはそんなことにはカンケイなく時給95円!で、せっせと働いた。
やってたのは、しわくちゃのレースのショールをきれいにすること。。
染物屋が染めて、屋上のモノ干し場で干したショールを取り入れ、
ミシンで端と端を仮縫いし、作業しやすいように何十枚も連なった帯状にする。
それを社長手作りの、両側に針がついた機械に引っ掛けてズルズルと引き伸ばし
下から蒸気をあてると、しわくちゃだったショールがピンとなるので、
縫い目を持ち ベリッと糸を切って一枚づつに戻し、畳んで一丁上がり。
たまに縫う奴がヘタだったりすると、ショールのほうが切れてしまうこともあったが
それも黙ってきれいに畳めば一丁あがり。
ユビを縫うのもいたりした三台のミシンのうしろには、
古いラジオがあり いつも歌謡曲が流れていた。
由紀 さおりに似てた、京都育ちの彼女。
万博に一緒に行ったけど、どうしてるかな。