毎週競馬をやらなくなって久しいけど、
大きいレースがあると時々、桜木町や新横浜まで足を伸ばして楽しむ。
昭和48年、もう何年前になるのか?
この年、地方競馬で6戦6勝という圧倒的強さで中央にあがってきて
野武士と呼ばれた馬がいた。その名を「ハイセイコー」。
中央でも皐月賞、NHK杯をぶっこ抜いて4戦4勝、ダービーでは圧倒的な一番人気だった。
「ハイセイコーでしょうがない、よもや2着をはずすことはないだろう」
みんながそう思ってた。
当時新橋に勤めていて、仕事の合間に日比谷や銀座の場外馬券売り場に通っていたが
競馬も覚えたて、なかなか当たるもんじゃなかった。
新橋駅の今、機関車が置いてあるあたりに予想屋のおっちゃんがいて
ここは一つ神頼み、大枚500円札を出して初めて予想を買った。
薄い茶封筒を開くと、中に予想を書いた紙切れが一枚。
上に3点、大きな数字で連複の目が書いてあって
下に小さく穴ならと書いてあったのが、ハイセイコーの枠をはずした”5-7”
当時のダービーは多数出頭してて、外の7,8枠は絶対こないと言われてたが
生来のヘソ曲がり、なけなしの千円で穴だけ買ったら、ハイセイコーは3着に敗れる大番狂わせの5-7。
9万なにがしになって、そのあと、その予想屋の前を通りかかったら
予想を貼りつけてある看板の上にべたべた祝儀袋が張ってあったな。
「かもめは飛びながら歌を覚え、人生は遊びながら歳老いて行く」
JRAなんてまだシャレタ言い方をしてなかったその年の
寺山修司自身が津軽訛り?で出演してたCM。
ダービー買わにゃいけねぇな。
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