人の世も移りゆき
一緒にあの頃を語る
アルバムの友もなく
オー ダニーボーイ・・・
ずっと昔に聞き覚えた日本語のダニーボーイは、かなりの意訳で誰が歌っていたのかも忘れたが、
オレには10年どころじゃない、すっかり消息の途絶えた懐かしい友がいる・・・
オレ達が学生の頃は、勉強なんか二の次 麻雀が強いヤツがちょっと尊敬された。
”つとむ”は、評判の打ち手で、オレもイキがっていて、狭い京都の学生街のこと、
必然的にあるとき、アイマミエることになった。
明るくなった窓の外を見て、今が朝の5時か夕方の5時かわからなくなるまで打ち合い
お互いに一目置く存在となって、それからは良く一緒に卓を囲んだものだった。
”つとむ”は「憲法」の試験がまったくわからず、
用紙に大きく「日本帝国憲法万歳」と書いて出したら許してくれた大学に籍があったが、
勿論、学校へなんか行かず、皆が帰って来るのを待ち構えて麻雀をした。
”つとむ”の下宿は一階と二階合わせて10部屋あり、
その中の一人が皆から金を借りまくって夜逃げをした時、
”つとむ”だけがそいつから金を借りていて、皆が怒りまくっているのを尻目に、大笑い。
3回生の時、”つとむ”はいろいろあって大学を中退、郷里の岡山に帰り、
その頃付き合っていた「モコ」という彼女と結婚した。
オレは岡山の後楽園の中であった式に参列し、奴の両親から「これからも宜しくね」と頼まれたし、
逆にオレの結婚式では わざわざ上京して司会をやってくれたり、
一度、カラオケ大会の決勝があるといって二人でこちらに来たときは、
横浜を案内したこともあったけど、
20年ほど前、「モコ」から突然
「つとむがいなくなった。そちらに連絡はないか?」と電話があり、
「女と家を出たまま、もう半年も帰っとらん」ということだった。
オレはあちこち当たって奴を捕まえ
「モコのところに帰ったらんか?」 と言うと
「こっちにも生活があるしな・・・」いう返事。
それ以上は何も言えず、電話を切った。それが”つとむ”と話した最後だ。
今、モコは岡山で小さなクラブのママをしている。
”つとむ”はあの時、大阪でダンスの教師をしていると言っていた。
それが無理な相談だということ位、よ~くわかっちゃあいるが、
もう一度あの頃に戻って”つとむ”や あのメンバー達と卓を囲みたいと思うのは、秋のせいか。
手元にあるアルバムの古い写真には雀卓を前に、
くわえタバコであぐらをかいている”つとむ”がいる。
ダニーボーイ(放蕩児)の”つとむ”は今、どこにいるのか?
庭の片隅に咲くピンクの彼岸花、まさか死んじゃあいまいなあ。