S和会のY田さんのことを書いたので、もう一人の長老、O村主計さんのことにふれないわけにはいかない。

30年くらい前、S和会という、20人くらいのゴルフの集まりがあって、オレはその末席に名を連ねていた。その長老格としていたのが、”熱海ブルース”のY田さん、そしてもう一人がO村さんだった。

O村さんは童謡の作詞家で、「絵日傘」「花かげ」を作ったことで知られていたが、オレの会社の大先輩
で、あのころは、もう退社されて、悠々自適の生活をしてらした。ちなみに、「花かげ」という歌は、桜ふぶきの下をお姉さまが俥にゆられて嫁いでゆき、わたしはひとりぼっちになってしまう、という切ない詩で、オレは小さい時から聞き覚えのあった歌だった。だから、母にその人とゴルフを一緒にしていると話したらとても驚いていたものだ。

ゴルフコンペの時には、ハンチングにネクタイ、ニッカボッカというオールドファッションスタイルで、飄々とプレーをされていたが、また一面、とてもヒョウキンなところのある方だった。


ある日、午後の3時頃、会社にO村さんから電話があった。
「オイ、I君かや?、**にいるから、すぐきてくれ!」
麻雀の誘いである。メンバーが足りないから来いというのだ。
それまでもちょくちょくお付き合いさせていただいてたが、まだ昼間である。
「そうおっしゃられてもまだ勤務時間中ですよ」
「オオ、そうか。じゃ、部長に代わってくれ」
部長がしばらく話したあと、あきれた顔をしながら
「じゃあ、業務命令だ。行って来い」

ということで、銀座8丁目のスミのほうにあったホリコタツのある麻雀屋にイソイソとでかけて証券マンたちと一緒に昼間からタクを囲んだ。
O村さんの麻雀はゴルフと一緒で戦前の変なルールであったが何より印象深く覚えていることは、良く「裸単騎」待ちをしていたことだ。
チー、ポンを繰り返して「裸単騎」になるスリルを楽しんでいるようにさえ思えた。普通は「裸単騎」など、しょうがなくなるものだが、O村さんは無理やり1枚にして、その牌を両手で隠して
「ウヒャウヒャ」
と喜んでいる。まだ上がったわけでもないのにその様は、まるで子供そのもの。あのロマンチックな詩を書くような人とは到底思えなかった。

しかも、その「裸単騎」が字牌、風牌などではなく、真ん中の牌で待つのである。だから上がった時の得意そうな顔といったらなかった。無邪気な顔をくしゃくしゃにして喜ぶのだ。点数が高かろうが、安かろうが関係はなかった。

オレがお付き合いさせていただいたのは晩年の7、8年で、年の差はおじいさんと孫ぐらいあったが麻雀をしている時、年齢差は少しも感じなかった。
一周忌にT社長とS和会の会長のM信吾さんと3人で出向いたのは季節がようやく暖かくなりかけた頃だったな。
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