デリカシー・ゼロ | ガンにかかった男のエンジョイ・ライフ

デリカシー・ゼロ

どうも、よかばんです。


このブログは、人間ドックでのがん疑惑宣告をきっかけに、
契約している生命保険への認識不足に気付き、契約内容の
見直しをしている過程で、どういう人生を送りたいのか
ということを考え始め、よかばん自身が設定した目標を達成させようと
奮闘している姿をお伝えするブログです。


そういえば、この1,2か月で唯一家でゆっくり過ごした昨日、
家で阪神ー巨人戦を見ておりました。


あんまりプロ野球はみなくなったのですが、’85年以来の
阪神クリーンアップ3連続ホームラン。


当時はあまりの衝撃に、阪神ファンにならざるを得ませんでした。


そんな歴史的事件が25年の時を経て、再び起こったのですから、


((゚m゚;) キョウモナンカオコルンジャナカロウカ?


とテレビにしがみついておりました。



しかし、昨日は、阪神のホームランよりも
何やら、小笠原の2,000本安打がかかっていると。



(´∀`) 2,000ボンッテ、スゴイコトナノ?


よくわからん、よかばんはとにかく見ておりましたら、
まさにやってくれたんですね、小笠原が。


さすがです。


ところで、この件に関して
日本のマスコミって、うーん、って思うことがしばしば。


゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


ヤクルト2―8中日(5日・神宮) 祝福の言葉もすべて“オレ流”だった。
ヤクルト戦の連敗を8で止めた試合後、落合監督はクラブハウスへと引き揚げる途中、
報道陣から小笠原の通算2000安打達成の話題を振られると、ピシャリと言い放った。



 「それ(小笠原の記録達成)と今日の試合は関係あるのか? 
よそ様のことは言えません。聞く人間を間違えてるよ」



(´∀`) キョウノシアイトハカンケイナイヨネ、アキラカニ



 軽く突っぱねたが、ひと呼吸置いて、日本ハム時代に師弟関係にあった後輩の偉業に
言葉を選びながら、切り出した。



 「たかが、2000本打っただけだろ。2000本打って(現役を)やめるなら
『お疲れさん』だけど。まだやるんだろ。何がそんなにめでたいんだ?」



ヽ(゜▽、゜)ノ オッシャルトオリ




 落合監督自身は巨人時代の1995年、史上最年長の41歳4か月で達成。
その後、日本ハムに移籍し、98年に44歳で現役引退するまで歴代12位の
2371安打をマークした。それだけに指揮官にとって、通算2000安打は
あくまで通過点。「ここで満足するな」という、オレ流のエールだった。



(゚Ω゚;) エールナノカ?マエムキダナ



 小笠原と選手としてプレーしたのは97年からの2年間だけ。
それでも小笠原は落合監督の打撃理論を信奉し、師と仰いできた。


06年に日本ハムからFA宣言した際も自ら白井オーナーに獲得を進言。
森野の成長などもあって、最終的には獲得を見送ったが、ライバル球団の
指揮官と主砲という間柄でセの覇権を分け合ってきた。


*☆*:;;;:*☆*:;;;:



ほんと、スポーツの記者って、けっこう失礼なことを
平気で聞いちゃったりするよな、って、思うことがしばしばあります。



いつ、何のスポーツだったか忘れましたが、
ある選手が大会で優勝したんですね。


その選手の親が亡くなられたようでした。


そのことに対して、レポーターがインタビューで

ヽ(゚◇゚ )ノ オカアサンガナクナラレマシタガ、テンゴクデミテマスカネ?




よかばん:( ̄□ ̄;) Pardon?(何とおっしゃいました?)




気丈にもその選手は、


(ノ_・。) ハイ、ソウダトオモイマス

って、丁寧に答えてましたけど。




その後も執拗に、試合内容よりも、お母さんが死んだことについて
質問を繰り返すんですね。



ヾ(▼ヘ▼;)ダッタラ、オマエガモシュヤレヤ!


ほんと、香典返しまでしてやってほしいわ。



そんな不愉快な気分になりました。



小笠原選手の2,000本安打、素晴らしい記録なんでしょう。



でも、聞く人をちゃんと選んでやらないと。

何で敵チームの選手のことを答えんといかんのよ。



それぐらいやったら、ユッケのことでも聞けや!

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終わり。