【小説】オルタード・カーボン | 本を片手に街に出よう

【小説】オルタード・カーボン

著者: リチャード・モーガン, 田口 俊樹
タイトル: オルタード・カーボン(全2冊)

 久々に「本」来の話題を。ただ今大ブレイク中のSF。既に映画化も決定している。


 27世紀、人間の精神そのものがデジタル化され、肉体が消えてもメモリーから別の肉体にダウンロードすることで永遠に生き長らえる事が可能となった。そんな時代に生きる元特殊部隊(エンヴォイ・コーズ=特命外交部隊)で、現在犯罪服役者のタケシ・コヴァッチは、ある日突然大富豪のバンクロフトから仕事の依頼を受ける…



○デジタル・ヒューマン


 先ず設定がイカす。人の心がデジタル化されバックアップされることで、何度でも別の肉体に乗換えながら生きている。日本が誇る傑作「攻殻機動隊」では流石に脳自身は生身であり、ゴーストと呼ばれる人間の魂は他に換えられないものであった。

 27世紀にもなると、なんてことはない、全てデジタル化が可能ということか。

 現に、主人公コヴァッチへの仕事の依頼というのは、バンクロフト卿が自らの自殺?の真相を究明してほしい、というもの。自殺をしてもバックアップ・メモリーから自らのクローン肉体に精神がダウンロードされ蘇る。但し記憶を一定時間置きにバックアップに転送することで整合性を保つ。自殺?の真相はそのバックアップタイミングの合間、失われた数十時間に謎のまま覆われている。つまり依頼は、自殺?をした後にバックアップから蘇った卿自身の「何故私は死んだのか?」という探究心からの依頼なのだ。うーん、穴はあるだろうが、上手い設定である。



○サイバーパンクにかけるスパイス=日本?


 タケシ・コヴァッチという名前からも推察できるように、サイバーパンクには今や定番のセットモノとなった、日本企業や日本文化のエッセンスが本作でも垣間見える。

 

 サイバーパンクでは、テクノロジーを極めたインプラントや人工臓器、機械化による身体能力の拡張、また本作のように脳(や精神)に何らかのテクノロジーを加えるなど、キリスト教などの宗教信仰が強い民族からはかなり度し難い(と思われる)事柄や設定について淡々と描写されることが多い。

 我が日本は(異論はあろうが)八百万の神ということで、欧米人から見たら多分かなり無節操というか、ぶっ飛んだ宗教倫理観なのであろう。日本人なら肉体の機械化、電子化ですらやりかねないぜ、というような。

 多分サイバーパンクものに日本がよく出てくるのはギブスンだけのせいではなく、このような欧米の日本観、日本人観が影響しているのではないか?(勿論単純に文化的にも不思議な存在だから、というのもあるだろうが)

 

 本作での日本は、ギブスンが描いたチバ・シティのように強烈なベタベタ描写ではなく、社会のベースに根ざすものとしてノスタルジックに登場する。このあたりの使い方は上手い。直接的なものを羅列するだけでは、ギブスンが魅せた世界を超えず、逆にその安易さにうざったさを感じたであろう。


 コヴァッチの住んでいたハーランズ・ワールド星はその昔、日本の「系列」が東欧の労働力を使って発展させた星である。人々の名前や、心をダウンロードして宿す肉体=スリーヴも、日本とスラヴの混血が多い。


 数百光年の彼方に植民星を造るべく飛び立つ日本企業群の宇宙船…かつて日本経済が頂点を迎えた1970年代~80年代、文字通り日本の商社マンは世界をまたにかける特殊外交部隊であった。無政府状態や極端に厳しい自然条件など「こんな危険なところ軍隊でもいかないよ」というようなところにも、日本の商社マンが商売に来たそうだ。

 ローマ帝国、大英帝国、そしてアメリカ帝国は軍産複合で世界を支配したが、我が日本は当時、商談という武器を手に、とほうもない量の金という実弾をまとって、一瞬だが世界を支配しつつあったのだろう。

 読みながら、そんな「失われた10年の前の、ノスタルジックな20年の栄光」を思い起こした。


#バブルという二度目の敗戦を味わい、社会全体が次の目標を定められずに、リスクを負うよりも物質的には豊かな現状に留まっていたい、まだ放漫な無気力を謳歌していたい、という雰囲気に包まれているのが今の日本である気がする。こうしてかつての日本にノスタルジーを感じること自体が、その証左なのだろう。

#本作から引用させてもらえば我々自身が「次のスクリーンに移る」必要があるのかも知れない。…おっと本題から外れすぎた。本の感想に戻らねば。


 

○愛すべきキャラ達


 さて本作は、ハードボイルドであり、ラブストーリーでもあり、サスペンスでもある。このような贅沢な雰囲気を作り上げている一つの功労者は、間違いなく粗暴ながらも情緒にあふれ、示唆に富んだ軽口を飛ばしながらもストイックに仕事に邁進する主人公、タケシ・コヴァッチであろう。確かにカッコいいです。どうやら欧米でも大人気のようで、タケシ・コヴァッチ・シリーズ第二弾が既に執筆中とのこと。

 他にも、ベイ・シティ(27世紀のサンフランシスコ)警察の敏腕女刑事クリスティン・オルテガは、キャリア・ウーマン的硬質さと一途な愛情の不器用な表現を併せ持つ魅力的なヒロイン?である。

 数百年も生き続けている老獪さを、富めるものだけが享受できる極上ボディから如何なく発散するバンクロフト夫人。そして老獪さを通り越して斜陽的ロマンチシズムを感じさせるバンクロフト卿。更に違った意味で永く生きた者の狡猾さを炸裂させるレイリーン・カワハラ。

 ハードボイルドアクションに花を添える殺し屋カドミン、トレップ。

 そしてサイバーパンク・サイドでは、他人の肉体にダウンロードされるというなんともいえない違和感を読者に伝えつつも、見事なハッキングで重要な役割を演じるエリオットが良い脇役を演じる。

 

 映画化の際は、誰が誰を演じるのだろう?

 まさかタケシ・コヴァッチ=キアヌ・リーブスは流石に今回ミスマッチであろう。

 この魅力的なキャラ達の配役を妄想するのも、また楽しい。


 愛する人が他人の肉体として蘇っても、また愛する人の肉体に他人の心が宿っていても、人は人を愛せるのか?

 永遠の命とは、永遠の苦しみと等価なのであろうか?それとも永遠の愛か?


 深い。確かに傑作だ。ニューロマンサー とは違った意味で、何度か読み返したくなった。

 


BGM->Vitalic"Ok Cowboy "2005