子どもの頃は、学年が上がること、クラス替えがあること、先生が変わること、友達が転校していくこと、そういったことに関して、あまり動揺したり寂しくなったりはしなかった。
それがどういうことなのか、というのをいちいち考えることもなかった。
今になってみれば、「じゃーねー」っと手を振って気軽に別れてきた人たちって、死別に近い。お互い生きてても、死ぬまでに二度と会うことはないだろう。
小学校で転校していった友達とは、ある程度手紙のやりとりはしていたが、そのうちそれもなくなり、今は何もない。
高校の頃、いつも一緒にダラダラとバカ話をしていた友人とは、二~三年に一回くらいはLINEする程度に繋がってはいるが、家でくすぶってる仕事できない能なし鬱の私と、仕事が生きがいのチャキチャキワーママの友人では価値観やステージが変わりすぎて、そこまで話すことがない。
鬱陶しい先生や学校行事や意味不明な慣習をディスり、たまに午前中で帰れることを喜び、アホみたいな話で放課後しゃべり続けられるのも、同じステージに立つ者同士だからやな。
一度卒業や転校で道を分かつことがあれば、次第に共感する話題も少なくなり、価値観も変わり、それぞれの場所でまた違う人間関係ができて離れていく。
“別れる”って、そういうことなんだわ。
さらに言えば、お互い生きていて会う機会がなくなるのと、普段付き合いがなくて死んだ者と会えなくなるのは、たいして変わりないんじゃないだろうか…なんてことを思ったりもする。
だから、相手が死んでるという事実はあったとしても、「あいつはどっかで生きてる。会う機会がないだけで。」と思っていてもいいかなと、思ったりする。
まあ、私はその対象が人ではなく、昔実家にいた猫なんだが。
ヤツはまだ生きてる、どっかで。
(こないだ、やたらハッキリとした半円の虹が出来ていて、そういえば虹の橋の根元に死んだペットが待ってる的な話あったよなーと思い出した)
話がまとまらんが、卒園、卒業の季節になったもんで、昔は感じなかったこの寂寥感は何なのかと思いまして。年取ったのかなあ。