先日行われた保育所の面接後、療育の先生と面接での話をしていたら「怖いから保育園の話をするな」と泣いたトモチ。
保育所に行く前から苦手意識を持たれては困る。ちゅーわけで、保育所の保育交流に行ってきた。
新年度から年中になるので、現在の年少さんたちの中に入る。
以前よりは、物怖じしなくなっている。
子供たちが寄ってきて「おなまえはー?」「なんさいー?」と聞いてくるのにはなんとか答えていた。声小さいけど。頑張っている。
ちなみに、私の普段の声も全く通らないので、私が代わりに答えても、子供らの頭の上に「?ん?あんだって?」という文字が浮かび、なんとも微妙な顔で私を見返してくるのだった。
こんなポンコツの母親で申し訳ない。トモチ。私が足を引っ張りそう。
トモチが三輪車で遊ぶというので見ていたが、実は初めて乗る三輪車。ペダルの漕ぎ方が難しいらしく、途中から三輪車を手押しし始めた。
三輪車に乗らずに、手押しで駆け回り続けるというトモチらしい独自の遊び方で、延々その辺りを駆け回っていた。
皆が砂場にいても、ブランコにいても、ひたすら三輪車を押し続ける。
本人が「おかーさん。これ楽しーねー」と言っていたので、まあ、別にいいんだと思う。本人が楽しけりゃ何よりだ。
それにしても、4歳児たちは色々できるもんだな。めちゃくちゃ元気良くて、わからんちんだけども、意識はしっかりしている。
遊びの中での言動、何気ない友達同士の声かけ。ピントが合ってるってこういうことだな。
普段トモチとピロさんしか見てないし、よその子供を見るのは、療育先だったりするので、義母から「トモ君は普通よ」と断言されて「普通なもんかよ」と思っていたが、実際は私も一般的な4歳がどんなもんかを知らなかったりする。
なるほど。
こうして並べて見ると、トモチという子はあらためて独特なのだな。
発達という観点だと、色々遅れをとって、足りてないものが多い。言葉も、動きも。
去年のK式では、凸凹に2歳から5歳の幅があった。
車にはサスペンションがついているとか、エアバックは危険な時に膨らんで守ってくれることを知っているが、「兄弟はいる?…じゃあ弟はいるかな?」という質問は意味を解さず「いない」と答えたりする。
もしかすると、「その場に、いるか・いないか」という意味に捉えたかもしれない。
そういう、質問の意味を全て言わずとも大抵は予想できるものでも、“大抵”が当てはまらない少数派の脳みそだ。
私に、その傾向があるので、ほんとどうしようもない脳の癖であろうか。「いや、そんなことが聞きたいわけじゃないんだけど」と相手を一瞬惑わせるトンチンカンな回答をし続けてきた三十数年間。(ちなみにうちの旦那は、「いや、そこを掘り下げたいわけじゃないんだけど」という、話の本筋以外にこだわる人なので、我々の会話はなかなか噛み合わない。)
トモチは趣味嗜好でも独自の路線を走ってる。友達のことはあまり眼中にない。一人でも黙々と自分のやりたいことに集中している。
笑いのツボも独特。「そこで笑うか、しかも、そんな大声で…」
近くの子が、いきなりトモチがギャハハッと高い声で笑ったので、ビクッとしていた。
多数派の中で、やはり“異質”なのだった。
それが短時間で目の当たりにしたもの。
今は他の子供たちに、ありのままを受け入れる素直さがある。日本人的、異質を排除する風潮を知らない。「他人に一切迷惑をかけるべきではない。さらに、何々をすべき」という、一見正義感のような押し付けもない。
泣いてる子がいれば、先生に「〇〇ちゃんが泣いてるよ」と教えに行き、みんなで集まって慰めてる。優しい…。
みんなも、トモチも、いつまでも、そんな感じで共存できたらいいのにな。