療育園のグループ療育の日だった。
そこにいる子供たちの目に見える範囲での特性はバラバラ。
一人、穏やかそうな男の子H君がいる。
以前、帰ろうとしていたとき、「バイバイ」と声をかけてくれた。トモチにも「(バイバイって)」と促したら、小さな声で「バイバイ」と言えたのだった。
今日は、お集まり前の自由遊びで紐通しをしていたトモチに、紐通し用の穴が空いた積み木を渡してくれた。
トモチに「(ありがとう)」と促したら、小さく「ありがとう」と言えた。
今日の主活動はコーナー遊びで、折り紙、粘土、磁石でくっつく立体的なパズルの3つのコーナーで、自分の好きなものを選んで遊んでいいというものだった。
自分で選ぶ、色々やってみて自分が好きなものを探る、手先を使う、そういう目的。
しばらくトモチと粘土で遊んでいたが、先生に誘われて折り紙のところに行くと、H君が先に座っていた。
トモチが隣に座ると、H君はなぜだか手を繋いできた。
トモチ無言。
ヒシヒシと戸惑いが伝わってくる。
とくに嫌がりはしないが、どうしていいかわからない様子で、しばらく「???」と空中にハテナが浮かんで見えるような不思議な間ができた。
私は同年代の子との関わりが嬉しかった。
子供を避けまくっていたトモチが、「むげに嫌がることはしなかった」ことが嬉しかった。なんかちょっと、同世代への闇雲な不安と緊張が溶けてきているのだろうか。
その後、パズルの方に行ったら、グループで1番元気の良い男の子K君がパズルをしていた。そこにはK君がお父さんと作り上げた立派な家があった。
せっかくの作品を前に、ここに割って入るのはためらわれたが、その子が独り占めしてよい時間ではないため、貸してもらうしかない。
最初からパズルでしか遊んでいないK君に、先生は他の遊びもするようそれとなく声をかけて勧めていたが、まったく動くことなく、ひたすらパズルのところに陣取っている。
好きな遊びは別に人から強制されることでもないので、それはそれで、K君の行動もまっとうなこととは思う。
ただ、ここが療育という場なもんで、自由な時間というわけじゃないから、その日の主活動の主旨に沿うよう求められたり、「切り替え」なんてことも求められてくるのだ。
K君は初めの頃からトモチとはあまり相性が良くない子で、思いっきり貸したくなさそうであった。
もともと今日はあまりコンディションが良くなかったのか、お集まりの前の自由遊びでは、先生が積み木で作った家も、トモチが積んだ積み木も、とにかく一個でも「積んだ」と見るや、足で蹴っ飛ばして、ことごとく壊すということを繰り返していた。
トモチは固まって無言だったが、家ではピロティが近づいただけで泣いて怒るくらいなので、心の中はいかばかりか。
紐通しの積み木をH君が渡してくれるという冒頭のくだりがなければ、なんとも後味の悪い自由遊びになってしまうところだった。
まあ、そんな一悶着があったあとである。
親としても、なんかやりにくい。
トモチはお構いなしにパズルで遊ぼうとする。
パズルを触らせたくないK君に、その子のお父さんが「どうぞ、しなさい」と促してくれたので、トモチも触らせてもらえた。
トモチはトモチで、何も言わず興味があるものがあったら黙って取ってしまうので、K君も何度もトモチにミニカーを黙って取られており、嫌がっていたのだと思う。
トモチは、自分がオモチャをとられるのは嫌なように、他人だってとられるのは嫌なのだということをわかっていない。三歳なんてそんなもんなのかもしれんが。
「自分がされて嫌なことは他人も嫌」ってことは、大人になってもわからない人は多い。
とはいえ、人が持ってるもんを自分の欲のままにとっちゃいけないんだと、わかっていってもらいたい。
譲ってもらったときに、トモチが「ありがとう」と自ら言った。
ちょっとビックリした。
トモチが「ありがとう」と言ったあと、K君の態度が少し柔らかくなった気がした。
あとから、H君がやってきて、近くのパズルをトモチに渡してくれた。トモチはまた「ありがとう」と言った。
K君も残りのパズルをトモチにまとめて渡してくれた。トモチはまた「ありがとう」と言っていた。
心の中で、地味〜に、静か〜に感動する私がいた。
その後、トモチが私の反応を見ようと振り返ったので、私を意識して出た、私ウケ狙いの「ありがとう」だったのかもしれないが、まあ、とりあえずはそれでもいい。「ありがとう言えたね」と言うと、ニッコリしていた。
それにしても、ありがとう一言あるのとないとでは、ほんと違うもんだな。
そんな基本の基本を、コミュ障の私は息子から教わるのだった。
こういう、ちょっとしたお礼とか、挨拶とか、潤滑油みたいな言葉を、私は意識的か無意識か、省いていたりするからな。
それどころじゃなく、今や、大人としてっちゅーか、もう人としてどうなのかというレベルまで落ちており、反抗期の中二の方がまだマシってなもんだから、なんか色々反省した。
それにしても、H君、優しい子なのだろうなあ。見る限りでは、このメンバー内で一番バランスの取れた子に見える。
K君と元気に走り回る時もあれば、お母さんが制するとしぶしぶでも走るのを止めるし、全体的に穏やかな雰囲気で、どんな特性があるのかは、表面上わからないのだ。その周りが気付きにくい特性から、誤解を受けて不当な扱いをされることもあるかもしれない。
どうか、これから先のH君が幸せでありますように。
ーー
その一方、別の場所でマイペースな世界を繰り広げていたのはピロティ。
託児室では、いつも寝て過ごすピロさんは、今日珍しく起きていた。
そして、ズリズリと元気に這っていき、1歳2歳の小さなお兄さんお姉さんに手を伸ばし、遊んでもらおうとしていたようだ。
別れ際と、迎えに行った時に泣くが、それ以外はピロさんなりにのほほんと過ごしてるようなので安心した。
ーー
家に帰ったあと…
ピロさんがベビーベッドに近づいていたトモチに触りたがり、手を掴んだ。
トモチはいつもどおり、「だめだよー!もーー!」と半泣きで嫌がり、手を引きはがそうとしてピロさんをグイグイ押していた。
「そういえば、トモ君は今日、おともだちと手をつないでたねえ」と言うと、トモチは、ふと黙った。
「ヒロ君の手は、赤ちゃんの手だから、小さくて柔らかかろ?」と言うと、繋いでる手を見て、さっきよりももう少し力加減をして手を離していた…ような気がした。
やっぱ、なんかこう、感じるもんがあったかな。他人と触れあうことで。
なんてね、私の「他人の存在を感じていて欲しい、認めてほしい」という、希望的観測の勝手な見立てだけれど。
トモチがグループ療育する意義っていうのは、やっぱり他人を意識してちゃんと存在を受け止めるってことかなあ。
自分に関わらなければ、いないものとして流してた他人ってものが、いやが上にも自分に関わってくる。最初は未知の生物相手みたいに怖がってたが、この頃やっと存在自体には慣れてきてるところかな。接し方は分からなくても。
トモチはよく、“明日は療育園”という行動予定を自分で確認してるとき、「おともだち、いーっぱい、で、みんなでいっしょに、あそぶこと(ところ)」と反芻している。
親や先生にがっちりガードされて、制御されとる、まだまだぬるま湯のような集団行動とはいえ、集団を少し体験しただけで「あれ、なんか変わった?」と感じることができるのは、上等上等!なことだわ。
そこにいる子供たちの目に見える範囲での特性はバラバラ。
一人、穏やかそうな男の子H君がいる。
以前、帰ろうとしていたとき、「バイバイ」と声をかけてくれた。トモチにも「(バイバイって)」と促したら、小さな声で「バイバイ」と言えたのだった。
今日は、お集まり前の自由遊びで紐通しをしていたトモチに、紐通し用の穴が空いた積み木を渡してくれた。
トモチに「(ありがとう)」と促したら、小さく「ありがとう」と言えた。
今日の主活動はコーナー遊びで、折り紙、粘土、磁石でくっつく立体的なパズルの3つのコーナーで、自分の好きなものを選んで遊んでいいというものだった。
自分で選ぶ、色々やってみて自分が好きなものを探る、手先を使う、そういう目的。
しばらくトモチと粘土で遊んでいたが、先生に誘われて折り紙のところに行くと、H君が先に座っていた。
トモチが隣に座ると、H君はなぜだか手を繋いできた。
トモチ無言。
ヒシヒシと戸惑いが伝わってくる。
とくに嫌がりはしないが、どうしていいかわからない様子で、しばらく「???」と空中にハテナが浮かんで見えるような不思議な間ができた。
私は同年代の子との関わりが嬉しかった。
子供を避けまくっていたトモチが、「むげに嫌がることはしなかった」ことが嬉しかった。なんかちょっと、同世代への闇雲な不安と緊張が溶けてきているのだろうか。
その後、パズルの方に行ったら、グループで1番元気の良い男の子K君がパズルをしていた。そこにはK君がお父さんと作り上げた立派な家があった。
せっかくの作品を前に、ここに割って入るのはためらわれたが、その子が独り占めしてよい時間ではないため、貸してもらうしかない。
最初からパズルでしか遊んでいないK君に、先生は他の遊びもするようそれとなく声をかけて勧めていたが、まったく動くことなく、ひたすらパズルのところに陣取っている。
好きな遊びは別に人から強制されることでもないので、それはそれで、K君の行動もまっとうなこととは思う。
ただ、ここが療育という場なもんで、自由な時間というわけじゃないから、その日の主活動の主旨に沿うよう求められたり、「切り替え」なんてことも求められてくるのだ。
K君は初めの頃からトモチとはあまり相性が良くない子で、思いっきり貸したくなさそうであった。
もともと今日はあまりコンディションが良くなかったのか、お集まりの前の自由遊びでは、先生が積み木で作った家も、トモチが積んだ積み木も、とにかく一個でも「積んだ」と見るや、足で蹴っ飛ばして、ことごとく壊すということを繰り返していた。
トモチは固まって無言だったが、家ではピロティが近づいただけで泣いて怒るくらいなので、心の中はいかばかりか。
紐通しの積み木をH君が渡してくれるという冒頭のくだりがなければ、なんとも後味の悪い自由遊びになってしまうところだった。
まあ、そんな一悶着があったあとである。
親としても、なんかやりにくい。
トモチはお構いなしにパズルで遊ぼうとする。
パズルを触らせたくないK君に、その子のお父さんが「どうぞ、しなさい」と促してくれたので、トモチも触らせてもらえた。
トモチはトモチで、何も言わず興味があるものがあったら黙って取ってしまうので、K君も何度もトモチにミニカーを黙って取られており、嫌がっていたのだと思う。
トモチは、自分がオモチャをとられるのは嫌なように、他人だってとられるのは嫌なのだということをわかっていない。三歳なんてそんなもんなのかもしれんが。
「自分がされて嫌なことは他人も嫌」ってことは、大人になってもわからない人は多い。
とはいえ、人が持ってるもんを自分の欲のままにとっちゃいけないんだと、わかっていってもらいたい。
譲ってもらったときに、トモチが「ありがとう」と自ら言った。
ちょっとビックリした。
トモチが「ありがとう」と言ったあと、K君の態度が少し柔らかくなった気がした。
あとから、H君がやってきて、近くのパズルをトモチに渡してくれた。トモチはまた「ありがとう」と言った。
K君も残りのパズルをトモチにまとめて渡してくれた。トモチはまた「ありがとう」と言っていた。
心の中で、地味〜に、静か〜に感動する私がいた。
その後、トモチが私の反応を見ようと振り返ったので、私を意識して出た、私ウケ狙いの「ありがとう」だったのかもしれないが、まあ、とりあえずはそれでもいい。「ありがとう言えたね」と言うと、ニッコリしていた。
それにしても、ありがとう一言あるのとないとでは、ほんと違うもんだな。
そんな基本の基本を、コミュ障の私は息子から教わるのだった。
こういう、ちょっとしたお礼とか、挨拶とか、潤滑油みたいな言葉を、私は意識的か無意識か、省いていたりするからな。
それどころじゃなく、今や、大人としてっちゅーか、もう人としてどうなのかというレベルまで落ちており、反抗期の中二の方がまだマシってなもんだから、なんか色々反省した。
それにしても、H君、優しい子なのだろうなあ。見る限りでは、このメンバー内で一番バランスの取れた子に見える。
K君と元気に走り回る時もあれば、お母さんが制するとしぶしぶでも走るのを止めるし、全体的に穏やかな雰囲気で、どんな特性があるのかは、表面上わからないのだ。その周りが気付きにくい特性から、誤解を受けて不当な扱いをされることもあるかもしれない。
どうか、これから先のH君が幸せでありますように。
ーー
その一方、別の場所でマイペースな世界を繰り広げていたのはピロティ。
託児室では、いつも寝て過ごすピロさんは、今日珍しく起きていた。
そして、ズリズリと元気に這っていき、1歳2歳の小さなお兄さんお姉さんに手を伸ばし、遊んでもらおうとしていたようだ。
別れ際と、迎えに行った時に泣くが、それ以外はピロさんなりにのほほんと過ごしてるようなので安心した。
ーー
家に帰ったあと…
ピロさんがベビーベッドに近づいていたトモチに触りたがり、手を掴んだ。
トモチはいつもどおり、「だめだよー!もーー!」と半泣きで嫌がり、手を引きはがそうとしてピロさんをグイグイ押していた。
「そういえば、トモ君は今日、おともだちと手をつないでたねえ」と言うと、トモチは、ふと黙った。
「ヒロ君の手は、赤ちゃんの手だから、小さくて柔らかかろ?」と言うと、繋いでる手を見て、さっきよりももう少し力加減をして手を離していた…ような気がした。
やっぱ、なんかこう、感じるもんがあったかな。他人と触れあうことで。
なんてね、私の「他人の存在を感じていて欲しい、認めてほしい」という、希望的観測の勝手な見立てだけれど。
トモチがグループ療育する意義っていうのは、やっぱり他人を意識してちゃんと存在を受け止めるってことかなあ。
自分に関わらなければ、いないものとして流してた他人ってものが、いやが上にも自分に関わってくる。最初は未知の生物相手みたいに怖がってたが、この頃やっと存在自体には慣れてきてるところかな。接し方は分からなくても。
トモチはよく、“明日は療育園”という行動予定を自分で確認してるとき、「おともだち、いーっぱい、で、みんなでいっしょに、あそぶこと(ところ)」と反芻している。
親や先生にがっちりガードされて、制御されとる、まだまだぬるま湯のような集団行動とはいえ、集団を少し体験しただけで「あれ、なんか変わった?」と感じることができるのは、上等上等!なことだわ。