夫の盆休みが終わった。
ますますお父さん子に磨きがかかってきたトモチは、少しでも夫の姿が見えないと、「おとーさん、おとーさん」と不安な顔で行方を私に聞いてくる。

私がそばにいても不安なようだ。
たしかに、私は怒るし頼りないからな。
その怒り方も以前より沸点が低くなっており、何かにつけて怒鳴り散らすは手が出るはで、自分でも頭がおかしいのではないかと思う。


ーー


盆は夫の実家へ行った。
トモチの発達障害について言うか言うまいか迷ったが、トモチのそっけない態度や視線を合わせない、返事をしない、質問に答えない、その他諸々の不自然な様子は、トモチ自身の人間性や親の躾とかに誤解をうむので、やはり言っておくことにした。

義母は、いくら療育の必要性を説いても、「まだ3歳なんだからこんなもんよ」「保育園に行けば変わるらしいわよ、いつもはヨーコさんと二人でいるから」と言い、「こんな小さいうちから障害なんて決めてかかって。今は何でもかんでも障害にしちゃって」という受け取り方をしたようだ。

義母が「なんで発達相談なんかすることにしたの?全然普通に見えるのに」というと、夫は「いや、俺もヨーコさんが言うまで気づかんかったくらいやもん。俺は夜と土日くらいしか見とらんからわからんかったけど、ヨーコさんは毎日トモ君見てるからね」と私に投げた。

たしかに、あんたは人よりも、かなり鈍いからね。察することが苦手な男性の中においても、群を抜く鈍さだしね。
あんたは気づかないだろうよ。毎日毎時間一緒にいても気づかないだろうよ。
トモチのこだわり方や独り言や一方通行の言動をみても、「普通の3歳もこんなもんじゃない?」と言うだろうよ。

ただ、義兄は「会話のキャッチボールが成立しないってことね。うんうん。そーねー…たしかにちょっと一方通行な感じはある気がするねー」と言っていた。

そうなんですよ。
お義兄さん。
そーなんです。
話が早い。

「そーおー?そんなん、3歳なんだからー、こんなもんよおー。なんでそんなこと言うの、もー。」と義母。

3歳に対して、求めすぎか。
可哀想か。
何が正しいか、私もわからないんだ。
たしかに、求めすぎて怒ってしまってることもあるし。
「どうしてわからないの!?」って言ってしまうんだよ。

「なんで、パナソニックのルーロとかアイリスオーヤマとか、DCモーターとか、そんなのは覚えて言えるのに、“名前はともゆきです”って教えても教えても、口に出して言えないんだ…」とか、思っちゃうんだよ。



なぜ、発達相談なんてものをしようと思ったかって?

そりゃ「母親だから」ってことになるかしらね。

他人なら「3歳なんてそんなもん」で済ますよ。他人だもん。
子供の行く末とか、考えすぎて不安になったりしないよ。他人の子なら。
「保育園や幼稚園に入れたら変わる」って伝説に賭けて、それで安心することはできなかったんだよ。


「言葉が遅い」というのがきっかけではあるが、そこからネットで調べると「自閉症」などのキーワードが出てくるもんで、それで気になり始めて徐々に不安や心配が重なり頭がパンパンになったので相談した、ってところだが、「言葉が遅い」っていうのは、わりとありがちなことだけに、義母のような「そんなことくらいで、こんな小さいうちから子どもを障害者にしたてあげたいか」と思う人には通じない。

まー、なんだ、「親の力量のなさを棚に上げて、安易に障害などと決めつけることで逃げをうっている」という感じか…。
私自身もそれは常々自分に対して感じてきているので、本当に心苦しいのだ。
私じゃない人が育てていればまだマシだったかもしれない。私が足りていないのも確かなので。


義母曰く、「そんなこと言ったら、うちの息子たちも言葉遅かったし、今だったら障害ってなってたかもよ?でも今は、ほら、こんな立派に育ってるじゃないの」とのことだ。

…立派に、ね。
立派かどうかというのが、「犯罪起こさずに今まで生きてこられた」ことであるならば、こんな私でも立派に育ったってことになるかもしれんね。

そりゃ、本人に生き辛さが無ければ、別に良いんだ。

障害者認定させることが問題なんじゃない、障害の特性を見過ごすことで、この子がこれから先、傷つくのが嫌なんだ。


いや、なんかもう、生きづらくても、大人になって初めて気づくくらいの障害なら、まだマシな気がしてきた。
まだしも、話が通じて、なんとか人間らしい。

トモチの見ている世界、感じ方はトモチにしかわからなくて、トモチがこれからどうなっていくのか、まったくわからないのが不安だ。
どれくらい酷いんだろう。
子供の頃はよくても、大きくなるに従って目立ってくるものもあるだろう。

幼い子供の癇癪や奇声と、ある程度大きくなった子の癇癪や奇声では、違うと思う。


母親の私でもイライラして手が出てしまう。
私の救済も含めて、プロの手が欲しい。
私自身に、障害者への偏見が根深くあるのも、よろしくないところだ。


何が言いたいのかわからなくなってきているな。

やれることは、やっておきたい。
そういうことです。


義母も実母も似たような感覚の人達なので、私の声かけが足りないからだとか、人と交流しないからだとか、責められるのはもう仕方ないこととして流しておく。

あの人たちがなんと言おうと、70のばーさん達は、20年後生きてるかどうかもわからない。月一、数時間程度見ただけのばーさん達が、トモチや私の何がわかるというのか。
トモチは20年後、まだ23なのだ。