どうしてわからないの。


むかーしむかし、あるところに、算数ができない女の子がおりました。名前をヨーコといいました。

ヨーコは、一桁の暗算もままならないのでした。

ヨーコは、時間の計算でかなり苦労していました。

1時間は60分です。
今、2時25分です。では、2時間45分前は、何時何分?

一度、分にして、そのあと時間に直して。

ヨーコには単位の違いが理解できません。

そもそもあまり理解力がないヨーコは、学校の授業でも、まったく先生が何を言ってるのか意味不明のまま進んでいってしまうことがたびたび起こりました。

先生の意味不明の説明に、さらっと問題を解いていくクラスメートが不思議でならない。なぜ、わかる。

焦りで手に汗かいてきて、なんだかむずむずオシッコしたくなるのでした。暑いような寒いような、なんともいえない気持ちの悪さ。

「問題といた人から休み時間に入って良い。」
そういうときは、確実にずーっと最後まで居残り、先生にいくら説明されても、まったく分からずじまい。


ヨーコのお母さんは、小学校低学年ですでに授業について行けずに遅れていくヨーコを心配し、時計を持ち出して針を動かして説明してくれたり、紙に書いて、時間を分に直して、そして時間に戻すことを説明してくれました。

「ふんふん」とその都度納得して聞いているものの、「じゃあ、この問題の時間は何時になる?」と問われると、まったくわからないのでした。

再三に渡り説明しても理解しないヨーコに、お母さんはとうとう「なんでわかんないの!!!!」と怒り始めるのでした。

それを諫めて、お父さんが選手交代でヨーコに説明をしますが、その都度「うんうん」と納得するものの、「じゃあ、この問題の時間もわかるはずだよ」と言われても、「いや、それとこれとは話が別なので」という感じで、まったくわからないのでした。

お父さんも頭を抱えました。


なぜわからない。ここまで説明してるのに。答えを出したも同然なのに。


パーセントの計算でもつまづき、距離、時間、速度でもつまづき、単位の概念に泣かされ、つまづいたまま、大人になりました。



はい。
今でも算数が出来ないよ、あたしゃ。
暗算も一桁だってできないままだよ。

中学の数学はなんとかなったんだけどね、あれはパターンがあったし、公式にあてはめるだけだったから。ぼーっとしてても何とかなったの。
といっても、公式忘れたから、今やそれも無理だけど。


意外と国語は出来ていた方で、話し言葉は普通だったから、普段の生活では気づかれにくいけど、もう相当なお馬鹿であったことは間違いない。


「国語が出来るなら、算数の文章題だって出来ると思うんだけど」と言われたことがある。

いやいや、国語ってのは国語ってなだけあって、非常に言葉に丁寧に作られておるよ。本文読まなくても大体わかるような解答が多いし。

算数はね、ぼんやりしてると単位が変わる。油断できない。
リットルとか、デシリットルとか、ミリリットルとか。
何パーセントの食塩水を小数点で表す、とか。

んだよ、細かいな。
「塩入れすぎるとしょっぱい、体に悪い」
それだけ覚えとけばいいやないか。


ちなみに、時間の計算について。
あの当時、「時、分、時間」の言葉の使い分けで混乱していたのをふと思い出した。

2時、という言い方。
2時間、という言い方。

どう違うんだ?
違う意味なのか?

算数と言うより、言葉の意味にこだわっていた。



さて。時は現代。

トモチに、これなーに?と掃除機のパンフレットを指さすと、「パナソニックのルーロ」と答えてくれる。

しかし、トモチに「お名前はなーに?」と聞くと、質問の意味をわかってくれない。

「あなまえ?」
「そう。おなまえ。名前はともゆきです」
「…」

「おなまえは?」
「あまえ」
「…えーと。“なまえはなんですか?ともゆきです”て答えるんだよ。」
「あまえ」
「うん、えーと。この子のなまえは、くまモンです」
「くまモン」
「そうそう。トモくんのなまえは、ともゆき。ともゆきだよ。とーもーゆーきー」
「…あまえ?あまえ。あまえ。」
「…いや、えーと…」


これからは、「これは、○○です」と教えるときに、「これのなまえは、○○です」と言った方がいいのかな。

名前ってのが何なのかが掴めてないようなので…。

物には、名前があるんだよ。トモチ。

人に教えるのはむずかしいな。

つい言ってしまったんだよ。
「どーしてわかんないの」と。

それを言われたら辛いのは、私も知ってることなのに。