316 :これが 「統一教会」の秘部だ(文藝春秋1984年7月号) より :2005/09/02(金) 21:34:27 ID:B+MB6u+J
>>314

 昨年十二月末、朝日新聞が世界日報事件と私の統一教会批判の動きを記事にし、その見出しに「韓国色濃い儀式」とつけていた。その文中で「統一教会はキリスト教の完成をめざす世界宗教のはず。
しかし文師の考えで、儀式の服装、拝礼、用語など韓国色が強すぎる。欧米では、人事も韓国人が偏重されている。日本人として改善の必要を感じていた」という趣旨の私の談話を載せていた。その気持ちは今いっそう強くなっている。
 たとえば、先に引用した「世日事件についての対応」という指示の中で「これらの事実」(私たちが反逆行為を行ったなどの)全食口に周知徹底させ「食口【しっく】」という韓国語をつかってある。
食口とは韓国語で「家族」の意で、統一教会では会員のことをそう呼んでいる。
 さらに昨年十一月五日出された「子女の日特別指示」には「本日を期して韓国語を全食口学ぶように!」と書かれている。
朝日新聞の記事にも書いてあるが、統一教会では韓国語を「祖国語」といういい方で、信仰の母国語と規定しているが、このような韓国語全員学習の特別指示が出されることは、初めてのことだ。
 統一教会は、韓国で生まれ、韓国人「文鮮明氏」を教祖とする宗教であることは、いうまでもない。
そのために、信仰儀式などに、いくばくかの韓国習俗的なものがあることは仕方ないにしても、問題はただそれだけではなく、「韓民族」が選民であり、他民族に優越していると説くことである。
この考え方は、キリスト教本来の世界宗教としての性格を否定することになる。選民に対する考え方こそが、民族宗教と世界宗教を分つ点である。
 このようにみれば、「韓民族」が選民であるとか、韓国が世界の中心であるという考え方は、キリスト教の正統をつぐ世界宗教としての統一教会という原則と明らかに矛盾する。
しかし、統一教会の経典「原理講論」の韓国版には、そのことを明示した記述がある。
 ところが、この部分は日本語版の「原理講論」から意図的に削除されてきたのである。
 韓国版「原理講論」の第六章第三節「イエスはどこに再臨されるか」の以下の個所に、「韓民族」を選民とし、韓国語が祖国語、世界共通語になるなどの韓国中心主義、世界宗教とは異質な韓国の民族宗教的なものであることが示されている。




317 :これが「統一教会」の秘部だ(文藝春秋1984年7月号) より :2005/09/02(金) 22:11:38 ID:B+MB6u+J

「古来より東方の国とは、韓国、日本、中国の三国をいう。ところでそのうちの日本は、代々天照大神を崇拝してきた国として、その上全体主義国家として再興期に当っており、かつての韓国のキリスト教を過酷に迫害した国であった。
そして中国は共産化した国であるため、この両国はいずれもサタン側の国である。したがって端的にいって、イエスが再臨される東方の国とはまさに韓国である……イエスが韓国に再臨されるならば、韓民族は第三イスラエル選民となるのである」
「この国(韓国のこと)であらゆる文明が結実されなければならない。有史以来、全世界にわたって発達してきた宗教と科学、即ち精神文明と物質文明とは韓国を中心として、みな一つの真理のもとに吸収融合され、
神が望まれる理想世界のものとして結実しなければならないのである……ゆえにまさしくあらゆる文明が結実しなければならない韓国においてなされなければならないのである」
「言語はどの国で統一されるであろうか?その問いに対する答えは明白である。子供は父母の言葉で学ぶのがならわしであるからである。人類の父母となられたイエスが韓国に再臨されることが事実であるならば、
その方は間違いなく韓国語を使われるであろうから、韓国語はまさに祖国語となるであろう。したがってすべての民族はこの祖国語を使用せざるをえなくなるであろう」
 この日本語版で削除された再臨に関する部分が、原理講論の結論だといっていい。いわんとすることは、再臨主とは韓国人である「文鮮明氏」のことであり、「韓民族」は選民であるから、「文鮮明氏」によって世界は統一され、
必然的に韓国は世界の中心となり、韓国語が世界の共通語になる。そして、「文鮮明氏」夫妻が、全人類から「お父さま」「お母さま」と尊称される「真の父母」になるということである。
 このような教義には日本人に対する韓国人の歴史的に屈折した心理が反映しているのであろう。それが「文鮮明氏」の日本統一教会とその幹部に対する、強い不信となって現れて来る。
そのような「文氏」の実像と統一教会の本質をあらわにみせたのが、「子女の日」の指示事項の中で、とくに責任者に祈祷【きとう】の指示をした「大石様とエバ国家が心情一体となれますように」という項目である。




318 :これが「統一教会」の秘部だ(文藝春秋1984年7月号) より :2005/09/02(金) 22:29:46 ID:B+MB6u+J

 大石様とは、東海大を卒業し、日本に滞在している「文鮮明氏」の先妻の子文聖進氏の日本名である。日本滞在中の”保護者”となっている二人の日本教会幹部の苗字の最初の字を組合せてつくったものだ。
「エバ国」とは日本のことをいう統一教会用語である。では、この「大石様」と「エバ国」が「心情一体となれ」とは、どういう意味なのか。それは、文聖進氏を日本統一教会が誰よりも大事にして尊重せよ、ということになる。
したがってそれは、日本統一教会の久保木会長は文聖進氏に従え、ということを意味しているに他ならない。

>>305
「文鮮明氏」を「メシア」「王の王」とみなす象徴的な、不愉快な儀式が統一教会にあることも書いておく。統一教会が四大名節と呼ぶ記念日には、早朝五時からの敬礼式という儀式があり、
そこでは聖壇に座った「文氏」とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝礼を行う。場所はだいたい「文氏」の私邸であるアメリカ・ニューヨーク州のイーストガーデンである。
その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗煥大統領ほか主要国の元首の身代りを、それぞれその国の教会幹部が担当し、文教祖一族に拝跪【はいき】して全世界の主権者が文教祖に拝礼したという儀式を行うのである。
 日本の天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長の久保木氏なのである。何とも奇妙で、そして国民の象徴として天皇を上にいただく日本国民としては見逃せぬ情景ではないか。
それだけではない、イエス・キリスト、釈尊、孔子、マホメットなど主要な宗教の身代りを務める人も決っており、同様に「文鮮明氏」とその家族に平伏する。これは「文氏」がすべての宗教の上に立つ権威をもっていることを示す重要な儀式なのである。
 これをみても解るように、統一教会と国際勝共連合が行っている、宗教活動や愛国運動は、「文鮮明氏」の野望を実現することを目的とした方便なのである。




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