左和多里(さわたり)の 手児(てご)にい行(ゆ)き逢ひ 赤駒が 足掻(あが)きを速(はや)み 言問(ことと)はず来ぬ【万葉集巻十四 3540】
訳)左和多里の少女に出逢ったが 赤駒の歩みが速いので 言葉をかけずに来てしまった
つい想像を膨らませてしまう面白さがあります。
根拠もなしに相手に強要することになる、東歌は、そういう危うさを孕んでいる、
としたうえで、この歌に関して、いただいた資料、面白かったので、書き写し。
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【考】男性集団の戯笑歌
若者が左和多里の村近くで、評判の美女にばったり出合った。息をのむ美しさであった。
茫然とした若者は声をかけることができなかった。村に戻った若者は仲間にさっきのことを話した。
「俺な、左和多里の手児に会ったぜ」
「お前どうした。話したか」
「いや、それがな、馬の足が速くてさ。一言も声をかけられなかったんだ」
こんな話が村中の評判になった。
「馬の足が速くて物も言えなかった」というのが嘘だということはみんな見抜いていた。
それから後、村の若者たちは、夜ばいに失敗するとこう言ったものだ。
「馬の足が速くてね」と。
「男性集団の戯笑歌」とは全訳注の、この歌について注するところである。
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太宰治の「お伽草紙」など、日本昔話を太宰流に、ユーモラスに展開し、
とっても面白いわけですが、
言えば、上の【考】も、そのようなもので、
一種のファンタジーと思ってもいいかもしれません。
「俺な、左和多里の手児に会ったぜ」など、
東歌だから、東国なまりを意識してるんでしょう。
そういうところも、面白い。
昔の日本映画みたいな言い回し。
三島由紀夫が主演した映画「からっ風野郎」の、
DVDで言いますと、チャプター15、
「オメェみたいな女、はじめてだい」など、思い出します。
「馬の足が速くてね」、使っていきたい。
待ち合わせにだいぶ早くついたよ。
馬の足が速くてね。
歌を歌っていて、間奏があるのに、忘れて、二番を歌い出した。
馬の足が速くてね。
散髪に行ったんだけど、短くなり過ぎたね。
馬の足が速くてね。
こういうことは、互いに了解があるから、良いので、
そうでない時に、こんなことを言っても、
びっくりされるだけですから、気を付けましょう。
写真は、1900でいいますと、96年。
ラフォーレ原宿の前にオープンステージがあって、
そこで、ラジオの収録のために歌っているところ。
「ボイジャーは還れない」を歌った覚えがある。
顎のラインが、ちょっとエルヴィスに似ているぞ。
馬の足が速くてね。
今日も良い一日でありますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司