長江健次さんのツアー、久保田洋司は、旭川にも? とのご質問いただいてます。

ありがとうございます。

旭川にも伺いますよ。

■7月8日から、長江健次さんのツアーに参加します
北海道~沖縄まで、是非、お会いしましょう。
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そんな久保田洋司、今朝は、万葉集の講座に。

今日は、巻二の挽歌。

朱鳥元(天武15)(686)年、9月8日、天武天皇崩御。

10月2日、大津皇子の謀反発覚、翌日、処刑される。

大津の姉、大伯皇女が、弟の死を悲しんで詠んだ歌、四首のお話を、

たっぷり。

今日も感動でした。

古代の万葉の和歌を、現代の我々の感情で理解して読むことと、

当時の語法にのっとって理解することの差、と先生、おっしゃった。

そのあたりが、非常に面白いところでした。

 

うつそみの 人なる我(あれ)や 明日よりは 二上山を 弟(いろせ)と我(あ)が見む【万葉集巻二 165】

大津皇子の屍は、処刑の約二ヶ月後、二上山に移葬される。

 

この歌の評価としては、

「諦念のごとき心境」「悲しみに疲れたしめやかな調べ」「弟の死に対する諦観」

「悲しみの中にも安堵に似た感情があり、それがかえって痛ましく感じられる」

というものが多い。

 

歌の表現に即して検討。

ーーや ----あが ~む という形の、他の歌の例を、万葉集中で調べれば、

すべて、こうも~することか、と自分の現在の状態を不満に思う表現(木下正俊の論文による)

話者は自身の今後の行動を予測すると同時に、それを本意でないとしている(品田悦一「大津皇子・大伯皇女の歌」)

というようないろいろの研究を紹介され、

口語訳するなら、

現世の人間である私なのに、明日からは「山」を弟として見ることになるのでしょうか

と、それは、不本意な気持ちで、ある種のあきらめを背景とする解釈とは相反する、と。

そして、

主語「我」が、重複することから、わかること。

作者の煩悶の深さ。

歌は、即興的な口誦歌として、成り立った。

奈良朝の歌に、この種の重複が見られないのは、歌が「書かれる」ようになったから。

そのことは、165は、奈良朝の仮託歌ではないことを示す。

 

さらに、面白かったのは、やはり大伯皇女がこの時詠んだ、

166番歌。

磯の上に 生(お)ふる あしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに

この歌に対して、万葉集の「左注」は、

右の一首は、今考えてみると、移葬の時の歌らしくない。

ひょっとすると、(大伯皇女が斎宮の任を解かれて)伊勢神宮から都に帰る時(二ヶ月前)に、

道のそばで花を見て、悲しみむせび泣いて、この歌を作られたものか、というようなことが書いてあります。

左注というのは、万葉集の編集時に、編集者が、付け足したものなんですが、

この歌の、埋葬時に至ってもなお、死者との隔絶を承認しない感じを、とがめて、

これは、違うんじゃないか、と感じて、そう書いちゃった。

しかし、逆に言えば、

大伯皇女は、時を経ても、それくらい、悲しんでいるんで、

けっして諦観、などではない、ということが、わかるわけです。

 

相変わらず、とても書ききれません。

想像による解釈とは違う、多くの研究による理解、

素晴らしいことと思います。

そういうこともあわせて、教えていただいてる気持ちです。

 

長くなりました。

外もすっかり暗くなり、もう夜。

続けて、良い一日でありますように。

素敵な夜を。

美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司