楽しみにかよっている万葉集の講座。

巻一から新たに始まった会は、すでに巻二に入っていまして、

今日は、91番歌から、十首ほど、お話をお聞きしました。

近江朝の相聞歌。

その中から、鏡王女の、92番歌を。

秋山の 木(こ)の下隠(したがく)り 行(ゆ)く水の 我(あれ)こそまさめ 思ほすよりは

訳)

秋山の 木陰をひそかに 流れて行く水のように 私の方こそ深く思っているでしょう あなたが思ってくださる以上に

91番歌で、天智天皇が、人目につきやすい目立つ愛情表現で、歌を詠んでいるのに和(こた)えて、

この歌で、鏡王女は、人知れず胸に秘めた思い、その「思い」の方が深いのだ、と軽くやり込める。

ここ、すごいところなんですが、とても、ここには書ききれない。

鏡王女(かがみのおほきみ)については、前にも書いたかもしれません。

伊藤銀次さん、小峰倫明さんとともに展開している「えとうた」の作品の中で、

僕が去年、鏡王女の歌に曲を付けて歌った時、

少し調べて、どんな人だったのか、いろんな説はあるけれど、謎が多いと。

僕が持ってる本や辞書など見ても、よくわからなかったんですが、

今日、先生のお話を聞いてると、鏡王女の才能と深さが、わかってきて感動でした。

やはり、とても、書ききれません。

通説では、天智天皇と鏡王女は男女の関係にある。

鏡王女と額田王は、姉妹。

などということになりますが、

天智とのやりとりの贈答歌は、必ずしも、男女の関係があったとは限らない。

歌は、社交の道具で、漢詩を大和歌に翻案できる鏡王女に天智が歌いかけた。

鏡王女は、藤原鎌足の嫡室、天智にとっては信頼できる政治的担い手であったか。

額田王の歌には「御」はつかないが、鏡王女の歌は「御歌」で、これは身分が異なることになる。

通説というものも、入口としては、あってもいいものなのかもしれません。

必ずしも、そうでないということを知る楽しみにもつながります。

とにかく、すごいお話いっぱいで、ふるえました。

今日、面白かったことの一つは、先生ご自身も、15年前に思われてたことと、

今とでは、考えが変化されてること。

両方の説をお聞きできて、我々が、そうかぁ、と今、思えるのもすごいことです。

まったく、上手く書けませんが、今日はこんなところで。

素敵な一日を。

美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司