写真は、今朝、楽しみにかよっている万葉集の講座の帰り。
葉の緑と紫の小さな実が、きれいだったので、その前で。
今朝の講座は、巻一、50番の長歌。
藤原宮の役民(やくみん)が作る歌
やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 荒たへの 藤原が上に 食(を)す国を 見(め)したまはむと みあらかは ~
長いので後は略。
持統天皇が、藤原に都をおかれたときに、
天地(あめつち)の神々と、役民たちが先を争って奉仕しているのを見ると、わが大君は神であるらしい、というような内容。
天地の神々と役民たちがなにを奉仕しているのかというと、
まず、神々が、近江の国の、田上山の檜(ひのき)の丸太を、八十宇治川(やそうじがわ)に浮かべて流す。
それを、役民たちが、無我夢中で、鴨のように水に入って、泉川に運び入れた丸太を、いかだに組んで、川をさかのぼらせている。
神である、天皇の御意のままらしい、と。
途中に、常世(不老不死の理想郷)や、甲羅におめでたい模様のある亀が出てきて、新時代を祝福したりする。
非常に整然とした一首。
こういう歌を、役民(地方から徴用された農民が)作るなど、ありえない。
では、誰が作ったのか。
柿本人麻呂が作ったという説が、近世、国語学者の間では、言われていた。
その理由は、
歌の構成や、長い序などが、似てるじゃないか。
冒頭の四句が、人麻呂の他の歌と同じだ。
人麻呂があんまり使うもんだから、ほかの人が使わなくなっていた「玉藻なす」という言葉を使っているじゃないか。
しかし、今となっては、これは、人麻呂の作ではない、という説の方が強い。
つまり、
これは、人麻呂の調べとは到底思われない。
挿入された序詞も、煩雑すぎて全体の声調を乱す、と。
人麻呂作品と似ているのは、それを模倣しているためだ。
実際の人麻呂作品は、作品相互では、それほど似ていない。
人麻呂の既成の歌を模倣しながら、人麻呂より力量の劣った同時代の誰かが作ったものだろう。
「玉藻なす」は、人麻呂の歌では、女性の姿態の比喩として、使用しているが、
50番歌では、水に浮かんでいる丸太の比喩じゃないか。
あまりにも、違い過ぎる。
無理がある。
これこそが、模倣のなせる業。
素敵な言い回しとして、皆の心に残っていた「玉藻なす」を、
もう、使いたくて使いたくて、仕方がなかった誰かが、
人麻呂では、絶対に使わない妙なところで、使ってしまった。
ありそうなことだ。
長くなりましたが、こういうことを、じっくり、先生のお話に聞くのは、大変、楽しいことです。
この歌は、いつ、誰が作って、こういう意味です、はい次、ではなくて、
ちょっと掘り下げて、面白いことを、教えてくださる。
僕など、聞きながら、分かったような気分になって、すっかり悦入り。
健さんの映画を見た後の人が、皆、健さんになる、みたいな感じで、
僕は、天平時代の方。
太宰治で言えば、「ロマネスク」に出てくる、あの天平時代の「よい男」。
色がぬけるように白く、頬はしもぶくれでもち肌であった。
眼はあくまでも細く、口ひげがたらりと生えていた。
天平時代の仏像の顔であって、しかも云々。
また、長くなるところでした。
今日は、これにて。
素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
追記:
The東南西北ギター部、10月28日開催の「久保田洋司バースデーでジャーン!」
申込み終了となりました。
皆様、早速、たくさんのお申込み、ありがとうございました!