コメントありがとうございます。
いまこさん、よく会う方に3人、僕と同じ誕生日の方がおられます。偶然とはいえ、親近感を覚えますね。清水伸吾くんなんか、ポール・マッカートニーと同じなんですから、しびれます。
春美さん、予定沢山で、内容もみな違うと、もう頭に入れられませんね。スケジュール帳を確認しながら、今日はこれをやる、というので精一杯です。
しぃ~さん、コンサートに行くとき、ドキドキしますね。僕は最近だと、菊池琢己さんがギターでPANTAさんと演奏されてるライブ、もうドキドキで、その分、芯から楽しみました。
ムーンライトさん、万葉集カレンダー、いいですね。鞆の浦の、大伴旅人の歌は、切なくも愛しい歌ですね。「新しき~」を詠んだ時の家持の心境も、奥深いですよ。
というわけで、久保田洋司、昨日、万葉集の講座、またまた、面白いお話いっぱいで、めくるめいたことです。
君があたり 見つつも居らむ 生駒山 雲なたなびき 雨は降るとも 【万葉集巻十二 3032】
訳)君の辺りを ずっと見ていよう 生駒山に雲よかかるな 雨は降っても
この歌の、「たなびき」について、伊勢物語、二十三段 筒井筒を引いての説明がありました。
この歌は、伊勢物語のこの段に、使われているんです。
その時には、
君があたり 見つつを居らむ 生駒山 雲な隠しそ 雨は降るとも
となっていて、「たなびく」ではなく、「隠しそ」なんです。
この部分を、万葉集の原文で見ると「蒙」の文字。
漢和中辞典で調べると、おおう、おおいかくす、というような意味があります。
伊勢物語は、仮名の文ですから、当時、「蒙」を「隠しそ」と読んでいたことがわかります。
江戸時代になってから、賀茂真淵が、
「蒙」は「たなびく」と読んだほうがいいだろう、と改訓したそうです。
なぜ、そうしたか。
これには、今度は万葉集の重複歌を見ます。
巻七 1224に、
大葉山 霞蒙 さ夜更けて わが船泊てむ 泊まりしらずも
巻九 1732に、同じ歌がこう書いてある。
祖母山 霞棚引き さ夜更けて ~
大場が、祖母なのが、面白いですが、比べてみてわかるのは、
「蒙」を、万葉集の時代には、「棚引く」と、読んでいたんだ、ということです。
巻十二 3188には、
朝霞蒙山を越えて去なば我は恋ひむな逢はむ日までに
とあり、万葉集では、霞といえば、たなびく、ですから、ここは、朝霞 たなびく山を~ と読みます。
それが、平安になると、「蒙」をその意味から、「隠す」と読んだりしたんでしょう。
だから、伊勢物語でも、「隠しそ」と読んでいる。
賀茂真淵、よくぞ、ですね。
ま、そんなふうに、今も、研究はどんどん進んでいて、それらを知ることができる我々は幸せです。
日々、進歩する学問にも、流行がある、と。
今は、歌が、時代によってどのように受け取られていたか、という研究が、流行っているそうです。
平安時代に、どう読まれていたか、を知るには、その時代の文化を学ばなければいけない。
そうなると、万葉の研究の範疇をだいぶ越えていきますから、大変なことです。
平安時代についての研究者からも、いろんな意見が出てきます。
長くなりました。
昨日、先生が「筒井筒」の資料も用意してくださってて、そのお話もあったんですが、
これが、面白かった。
当時の貴族の男の感覚は、
女性の、奥ゆかしくふるまっているのを、愛しく思っていたところ、
そのうち、打ち解けて、自分でしゃもじを手にとって、茶碗にお米をよそう姿に、うんざりして、もう、その女性のところに行かなくなる、という。
そういうお話の途中に、万葉集の「君があたり~」などが、差し込まれているわけです。
巻十二というと、講座で読み進めていても、下級官人の作った、退屈な歌が集まってるような印象があるんですが、平安の人たちは、そういうものも、しっかり読んでいる。
それも、なにか、流行りのようなものが、あったかもしれませんね。
例えば、僕など、昔の、ジュリーの歌が大好きですが、
今の若者には、だいぶ古く感じたりもするでしょう。
若者は、今はやりの歌がやはり、好きです。
そういうことが、あるでしょう。
本当に、長くなりました。
昨日は、夜、ジョギングに出ると、月や星が、とってもきれいでした。
明日の月は、下弦。
また、見ながら走るのも楽しみです。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司