ジョギング途中、小さな白い花が咲いているのを見つけまして、

あ、こんなところに、と。

今まで、気がつかずに、通り過ぎていたなぁ、と思ったことです。

道端に、花が咲いているのを、すぐ見つけて、

話しかけるような、または、花がおしゃべりしてるのを聞くような、

アルプスの少女みたいな気分で、いられたらな、と。

普段、なにを見ながら歩くか、思い出してみますと、

僕などは、木、のような気がします。

さするべり、つばき、けやき、さくら、うめ、オリーブ、など、

近くを歩いていると、そういう木の枝や葉をみているような、

どちらかというと、教えてアルムの森の木よ、という、

教えておじいさん、と同列のほうですね。

あるいは、進化の途中で身についた、本能的なものかもしれません。

さるすべり、って、滑るんだよなぁ、って、実感こめて話ができそうな。

夏の間に、もっさり茂った草木を、今、次々、きれいに刈り取ったりなどしてる場面に、

出会います。

どっさり刈り取っても、また、すぐに茂る。

土の養分と、水と、太陽で、よくあれだけ茂るものです。

ずっと前に書いたことがありますが、

人がもし光合成をして生きるとしたら、やはり、木のような恰好にならなくてはいけないし、

それで、動くためには、相当大きくないと、いけない、と。

ま、鳥のように飛ぶには、鳥のような恰好にならないといけない、というあれと同じです。

君のように美しくなるには、君になるしかない、と、

これは、久保田洋司「鳥のように飛ぼうと思うなら」という歌の歌詞に書いたことで、

もう、身もふたもないわけですが。

もし、君になったら、

君のことを、全部知ってしまう、知りたくないことまで、

そして、僕のことを好きになってやる、という非常に身勝手な妄想で、

屈折した後味を残します。

ひねくれて星をにらんだ、僕なのさ、とは、タイガーマスクのアニメの歌で、

子どものころに、聞いたフレーズですが、

タイガーマスクが、ひねくれて星をにらんだ、と言えば、

それが、かっこいいことなのか、と勘違いして、そうしていよう、と思った子どもも多かったでしょう。

ただ一輪の花のために、デューク・フリードは命を懸ける、とは、

グレンダイザーというロボットアニメの歌のフレーズで、これにも、影響受けました。

あとは、デビルマンの、

人の世に愛がある、人の世に夢がある、その美しいものを、守りたいだけ。

阿久悠らしい詞です。

いい歌を作ろうと、アルムの森から、ちびっこハウスまで、

あれこれ、思いめぐり中、もう、夕方なのでした。

素敵な夜を。

美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司