昨日、松村雄基さんのライブのリハーサルで、

僕と松村さんは、朝から待ち合わせ、一緒に買い物をし、昼、スタジオに到着。

しばらく音を出し、休憩。

メンバーの皆さんは、僕らが入る前に、すでに昼食を終えられてたので、僕と松村さんとで、近くのお店に。

それが、つけ麺のお店。

近くに大学もあるので、たぶん、普段、若者が多く来るお店なのでしょう。

量、少なめで、とたのんだんですが、けっこうな量で、こってり。

一夜明けても、まだ、それで、お腹いっぱいのような気がします。

若者は、それを、替え玉もするのだそうで、我々には無理ですね、などと話しながら食べ、

松村さんと、なぜか、りんごの話に。

昔、青森で、りんごの赤い果実が、木になってるのをはじめて見たときには、不思議な気持ちになったものです。

そのことを話すと、松村さんも、普段、見慣れてるりんごが、木になってるのを見たときは、違和感を覚えたと。

りんごをかじる、とか、青いりんご、赤いりんごに唇寄せて、真っ赤なりんごをほおばる、など、りんごというものは、昔は、なにか、若さというか、若者のなにか、青春というか、そういうものの象徴っぽく、歌謡曲などに描かれていた時代があったけれど、今は、そういうニュアンスがない。

それを、変えたのは、歯磨きのCMで、「りんごをかじると歯茎から血が出ませんか」だったり、

「殺人現場に林檎が落ちていた」だったり、したのかな、と。

「林檎殺人事件」の詞は、阿久悠さんですが、阿久さんこそ、りんごを若者の象徴のように、よく歌に登場させた一人ではなかったかな、と思ったり。

松村さんは、聖書の創世記にでてくる、禁断の果実を例に、りんごには、歴史的に、触れてはいけない何か、というような気分もあるのでは、そこが、若者のあやうい部分と、かさなっていくのかも、というような話になったり、あるいは、白雪姫の毒のりんごなども、興味深いところ。

こってりな、つけ麺を食べながら、りんごの話に夢中な、さわやか二人組み? なのでした。

今日も素敵な一日になりますように。

美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司