昨日の万葉集の講座の中で、浜木綿(はまゆう)のお話も面白かったので、書いてみます。

巻四 496

み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど 直に逢はぬかも

訳)み熊野の浦の浜木綿のように幾重にも心に恋しつつ、じかに逢うことのかなわぬことよ。

浜木綿は「はまおもと」の別名で、葉が幾重にも茎を包むところから、「百重」「幾重」の助詞に用いる。また、幾重にも隔たっていることのたとえに用いる。

浜木綿(はまゆふ)の名は、浜の木綿(ゆふ)からつけられたと考えられ、木綿(ゆふ)は、木野繊維から作った布を言う。

「百重なす」は、多数の花が群がり咲く様、大きな葉が何枚も重なる様、茎の薄い皮が幾重にも重なっている様、などいろいろな説があるそうですが、浜木綿の様子が、実際に、百重なすような状態なのか、いろんな説があって、いまひとつ、決め手にかけるようです。

群生するようなものでもなく、茎を切ったその断面を調べるなどして歌を詠んだとも思えず。

そこに、新説が登場、と。

浜と木綿(ゆう)を、切り離して考える。

木綿(ゆう)は、白い楮(こうぞ)の繊維。幣(ぬさ)に使う。

浜で白いものといえば、浜に打ち寄せる波頭。

万葉集では、木綿を波にたとえる例が、少なくないそう。

百重、五百重(イホエ)、千重、等の語は、雲、雪、山、波等をあらわすのが通例と。

白波が、幾重にも重なるように、心に恋しつつ、と。

柿本人麻呂が、何を見て「浜木綿 百重成」と詠んだか、わかりませんが、

恋する心は、幾重にも重なることには、ちがいないのでしょう。

ネットで、いろいろ調べれば、面白い資料も見えます。

興味ある方、調べてみてください。

今日は、ずっと雨ですね。

明日には、あがって欲しい。

素敵な一日になりますように。

美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司