ますらをは 友の騒きに 慰もる 心もあるらむ 我そ苦しき (巻十一 2571)

訳)男の人は お友達と騒いで 気がまぎれることもあるでしょう わたしは苦しいのです

佐佐木信綱「評釈」は、この歌を、

「婦人の地位は万葉集の昔からかうしたものと、一つの社会相が知られる歌である。歴史をこえて一般の日本女性の言ひたいところを代表してゐる観さへある。二句の『友の騒き』も辛辣である。」と。

こういう歌が、集に収められるということは、女性も言いたいことが言える社会だったと言えるかもしれません。

男尊女卑みたいな発想などない、おおらかな時代だった、ということも聞いたことがあります。

万葉集の頃、母親の発言力が強くて、娘はなかなか恋愛がしにくかったということを、最近、ここに時々書きました。

当時は、母系社会だったという話も聞きます。

佐佐木信綱の時代と、今とでは、男女の「地位」の感覚が違うかもしれませんし、それを思えば、万葉の頃がどうだったのか、こちらの感覚を一旦置いて、想像するのは、難しいことかもしれません。

歌からわかることは、男は、友達と騒ぎ、女はそれもできず、苦しい、と。

たしかに、今でも、そういうことが、あるかもせいませんね。

一方で、活発な女性を、うらやむ男性もいるかもしれません。

男からすれば、女性にはかなわないということろもあるでしょう。

天武天皇と、その夫人、藤原夫人(ふじわらのぶにん)の歌のやり取りなど見れば、

我が里に 大雪降れり 大原の古(ふ)りにし里に 落(ふ)らまくは後(のち) (巻二 103)

訳)わが飛鳥の里には大雪が降っている。お前のいる大原の古びた里に降るのは、もっとあとだろうね。

わが岡の おかみに言ひて落(ふ)らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ (巻二 104)

訳)いえいえそうではありません。この里の竜神に言いつけて降らせた雪のかけらが、そちらにちらついたのでしょう。

1キロぐらいしか離れてないところで、こんな歌のやり取りをしているラブラブな二人です。

天武と藤原夫人は、父と娘ほど年が離れてたそうです。しかも天皇である天武に、こんな風に歌い返せるなんて、その関係は、とってもいいものだったような気がします。

今日は、朝から、ちょっと出かけて、あれこれやってたら、もう夜中。

夜更かしなどしないで、早めに寝るのがいいでしょう。

良い眠りと素敵な夢を。

美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司