誰そこの 我がやどに来呼ぶ たらちねの 母にころはえ 物思ふ我を

訳)誰なの このわが家に来て呼ぶのは お母さんにしかられて 物思いしているわたしを

万葉集巻十一 2527

もうちょっと、くだいて言えば、

誰? この間の悪いタイミングで、のこのことうちに来てわたしを呼ぶ男は。こっちは、そんな男関係のことで、お母さんから、しかられてるところだというのに。

っていう感じでしょうか。

この歌で、わかる面白いところは、当時、男が、女のうちに、訪ねていったとき、

外から、呼んでたんだ、ということ。

挨拶の、「こんにちは」とか、「ごめんください」とか、そういうのは、いつ頃できた言葉か、知りませんが、

この歌では、呼んでるんですから、家の外から、名前を言ってたんでしょうかね。

「○○さん」、いや、「さん」というのも、「様」から変わった言葉だとしたら、このころに、「さん」と言ってたかどうかも、わかりませんね。

「○○」、呼び捨て?

名前を名のり合う、というのは、当時は、とっても重要なことで、それはもう、結婚を意味したりもするようなことでしたから、本当の名前を知ってたかどうかも、わかりませんよ。

あるいは、板戸を、たたいた、というような表現もあったりしますから、

名前など、言わず、戸をたたいて、呼んだのかもしれません。

わからないことばかりですが、とにかく、何かの方法で、外から、呼んでたことは、確かなようです。

そして、前にも書いたことですが、お母さんというのは、監視者なんですね。

類歌でもこのような表現が、よく見られるようです。

自分の経験をもとに、なのか、自分のことを棚に上げて、なのか、

とにかく、娘に厳しい存在のようですね。

娘としては、お母さんから、いろいろ言われて、ダメージを受けてる。

そんなところに、のこのこ訪ねてきて、呼ぶ男。

「男のせいではないが、その無神経さに、腹が立った」

↑これは、講座で、先生が、ちょっと面白く、おっしゃってたんですけどね。

女の側からの歌で、男は、よく、無神経で、間抜けで、間の悪い者、として描かれたりします。

歌は、宴の席などで、詠まれて、ふっと笑いを誘ったりするようなものでもありましたから、

言えば、日常の中に、そういう場面が実際に、けっこうあったのでしょう。

明後日は、また、講座に、楽しみに出かける予定です。

また、面白いことを、しっかり勉強してきて、ここに書けたらと思いますよ。

今日も素敵な一日になりますように。

美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司