コメントありがとうございます。
みはるっちさん、バースデーライブのとき、小学生の僕が鉄棒でぐるぐる回る映像がありましたね。家の庭に鉄棒があって、よく遊んでいました。映像では、太ももを後ろから抱えてぐるぐる回ってましたが、あれは、「だるま回り」とかいってたような気がします。
「だるま」とは、面白いですね。
辞書から書き写しますと、達磨(だるま)は、南インド香至(こうじ)国の王子で、中国にわたり禅宗をはじめた人の名の音訳。面壁九年、緋(ひ)の衣を着て座禅した達磨大使にちなんで作った丸い形の置物。人間が真っ赤に染まった状態や、丸い形の物をもさす。例「―ストーブ、血―、火―」。起き上がりこぼしをかねたおもちゃ。云々。
血だるまやら、火だるま、は、ちょっと怖いですが、雪だるま、なら、かわいいですね。
それにしても、丸かったり、赤かったりしたら、なんでも、「だるま」にするとは、だいぶ無茶なような気もしますが、なんにでも「よ」をつけて、喜んでらっしゃる人もいると思えば(「よるびす」「よんれのん」「よゅりー」などと言ってるのは、僕のことのようですが)、なにか、楽しいことのようでもあります。
赤ければ、紅葉、丸ければ玉、など、また別の言い方もありますね。
鹿の赤いお肉を、「もみじ」と、いうそうですね。
馬は、「さくら」で、猪は「ぼたん」。
仏教が入ってきて、殺生(せっしょう)などといって、生き物の肉を食べるということが、ちょっとはばかられた時代、それでもお肉を食べたかった人たちが、直接「肉」とか言わず、「もみじ」とか「さくら」などと言ったのだそうです。
殺生は、仏教では、前の世で、自分の親であったとされる動物の命を断つこと。罪。と。
赤いからといって、火もみじ、あるいは、もみじだるま、では、なにか、わかりにくいですか。
燃えるようなもみじ、みたいな言い方をすることは、あるかもしれませんね。
だるまのようなもみじ、は、ないですね。だるまもみじ、もみじだるま、どうでしょう。
玉には、艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす。(苦しいことや辛い目にあって後、はじめて一人前の人間となるものだ)という言葉もあって、美しいもの、高貴なもの、磨かれたもの、大事なもの、などをさしたりしますね。
玉とだるまでは、感覚的に、大きさが、ちょっと違うような気がしますかね。
雪だるま、と、雪玉では、ものが違ってきます。
火だるま、と、火の玉、でも、違いますね。
十円玉は、十円だるまとは、言いにくい。
でも、「だま」と「だるま」、は、「る」があるかないかの違いで、
いえば、「いか」と「いるか」では、海にすむもので、似てるようですが、別のもの、
「ひま」と「ひるま」では、なんというか、なにかしようよ、と言いたくなるような気もしますね。
少し長くなりました。昼間は、11日のライブの個人練習をしている久保田洋司ですが、
函館では、イカを、美味しくいただきましたよ。
11日、横浜サムズアップで、加納順くん、清水伸吾くん、モーメント・ストリングカルテットの皆さんと、お待ちしています。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司