昨日は、いつも楽しみな万葉集の講座に行ってきました。

巻十の冬の相聞、いわゆる恋の歌。

まず、お手本のように、柿本人麻呂歌集からの歌があります。

(2333)
降る雪の 空に消(け)ぬべく 恋ふれども
 逢ふよしなしに 月そ経にける

(訳)
降る雪が 空に消えるように消え入らんばかりに恋しいけれど
 逢うすべもなく 月が経ってしまった

消え入るように恋しいという感覚は、
どんな感じなのか、
もし仮に、雪が、恋しくて恋しくて空に消えていくのかと思うと、
その、ひとひらひとひらが、愛しいようなことですね。

降る雪は、空に、消えるというより、
地面なり、降ってきたところで、
消えたり、積もったりしてゆくのを見ます。

空に消える、というのは、また、
さらに、はかないような、切ない感じもしますね。

柿本人麻呂の生没年や経歴は、謎が多いんですが、
万葉集に出てくる人麻呂の歌を見れば、
600年代前半から700年代初期に生きていた人のようです。

その人の歌集とすれば、
人麻呂歌集は600年代後半にあったものでしょうか。
現存していません。

1400年前には、すでに、消え入るように恋しい、という感覚を、
歌にすることがあり、その後の多くの歌にも、
消え入るように~は出てくるようです。

死ぬほど恋しい、というのと比べたら、さらに、
きゅーっと、しーんとしてるような感じがしますが、
恋しいという感覚そのものは、存在感のあるものでしょうから、
その存在感のために、自分がどこにいていいのか、わからない、
消えてしまいそう、というところもあるのでしょうか。

後の、奈良朝の人たちが、人麻呂の歌などを参考に、
消え入る~などという言葉を使って、歌を作ったりします。

消え入る~という言葉があったから、そういう感覚がある、と、
確認したり、あるいは、感覚は、そうでもないのに、
歌を作るために、そういう言葉使いをした場面も、
あったかもしれませんね。

僕なども、万葉集の歌を参考に、詞を作ったりします。

ちょっと長くなりました。

本日は、目黒の東京倶楽部で、モーメント・ストリングスの、
リクエスト・ライブがあります。

モーメント・ストリングスの400を超えるレパートリーの中から、
リクエストに応えて、演奏するという、
スリリングで楽しい企画。

僕も急遽、少しだけ出演するかもしれなくて、
行くことになりました。

会場でお会いできたら、いいですね。

詳細は、こちら

今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司