昨日も、万葉集の講座、素晴しかったですよ。
巻十の秋の相聞、いわゆる恋の歌をやってます。
万葉集には、4516首の歌がありまして、
昨日、2247~2261の歌を勉強しましたから、
2000年に、この講座がはじまって、
12年ほど、昨日で、丁度半分過ぎたところなんですね。
僕が通うようになったのは、2008年の6月からで、
巻七の相聞、1392の歌から。
僕は、まだ、1000首も、やってないんですが、
時々、前に出た歌との比較があったりもするので、
参加できていなかった時の歌のお話も聞けて、
もっと沢山、習ってる気分です。
昨日も、巻十のいくつかの歌と、
巻二の但馬皇女(たじまのひめみこ)が、穂積皇子(ほずみのみこ)を、
思って作った一連の歌との比較の、とっても丁寧にお話があって、
感動しました。
例えば、
巻十の2247の歌は、
秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 我は物思ふ つれなきものを
巻二の114、但馬皇女の歌は、
秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛くありとも
上三句は、同じですね。
訳は、
秋の田の 稲穂がなびいているように ひたむきに、
そのあとに続く句は、
2247が、
私は物思いする、知らぬ顔している人に。
114は、
あなたに寄り添いたい 噂はひどくても。
114には、意思の表明があり、その緊張感、詩情の純粋さに比べて、
2247は、やや軽くて、歌いもの、一般的な感じがある。
水田の稲穂に寄せて、自分の思いを述べているわけですが、
日本人は農耕民族、
稲穂が風で一斉になびく様子は、イメージとして、皆に想起される。
「秋の田の 穂向きに寄れる 片寄りに」
という、一方的にあなたに寄っている、という歌い方が、
一つのパターンとしてあって、それを元に、
114も、2247も詠まれたとも考えられるし、
114があって、それを元に、2247が詠まれたと考えてもいい。
というような、お話がありまして、
そのあと別の恋の歌にも、
また、但馬皇女が、穂積皇子を思って作った一連の歌と比較できる箇所が出てきて、
同じ表現なのに、巻十の方はパターンとして、
但馬の方は、型を踏み外すことで、逆に魅力的な、
強烈な意志が歌われ、はっとさせられるものになっている、
というお話に続き、大変興奮しました。
宴などで、歌を詠みあって楽しむための、パターンとしての、
歌の作り方と、
自分の中から、あふれ出す思いを歌にするのと、
そのあたりの違いも、楽しむことができます。
もっともっと、いいお話、いっぱいだったんですが、
とってもここには、書ききれませんので、
今日はこの辺で。
いよいよ明日は、「くにっこ音楽祭」
明後日は、「チャリティー・ミュージック・ライブ in 福山駅前」
歌いに行きます。
皆さんとお会いできるのを、楽しみにしています。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
巻十の秋の相聞、いわゆる恋の歌をやってます。
万葉集には、4516首の歌がありまして、
昨日、2247~2261の歌を勉強しましたから、
2000年に、この講座がはじまって、
12年ほど、昨日で、丁度半分過ぎたところなんですね。
僕が通うようになったのは、2008年の6月からで、
巻七の相聞、1392の歌から。
僕は、まだ、1000首も、やってないんですが、
時々、前に出た歌との比較があったりもするので、
参加できていなかった時の歌のお話も聞けて、
もっと沢山、習ってる気分です。
昨日も、巻十のいくつかの歌と、
巻二の但馬皇女(たじまのひめみこ)が、穂積皇子(ほずみのみこ)を、
思って作った一連の歌との比較の、とっても丁寧にお話があって、
感動しました。
例えば、
巻十の2247の歌は、
秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 我は物思ふ つれなきものを
巻二の114、但馬皇女の歌は、
秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛くありとも
上三句は、同じですね。
訳は、
秋の田の 稲穂がなびいているように ひたむきに、
そのあとに続く句は、
2247が、
私は物思いする、知らぬ顔している人に。
114は、
あなたに寄り添いたい 噂はひどくても。
114には、意思の表明があり、その緊張感、詩情の純粋さに比べて、
2247は、やや軽くて、歌いもの、一般的な感じがある。
水田の稲穂に寄せて、自分の思いを述べているわけですが、
日本人は農耕民族、
稲穂が風で一斉になびく様子は、イメージとして、皆に想起される。
「秋の田の 穂向きに寄れる 片寄りに」
という、一方的にあなたに寄っている、という歌い方が、
一つのパターンとしてあって、それを元に、
114も、2247も詠まれたとも考えられるし、
114があって、それを元に、2247が詠まれたと考えてもいい。
というような、お話がありまして、
そのあと別の恋の歌にも、
また、但馬皇女が、穂積皇子を思って作った一連の歌と比較できる箇所が出てきて、
同じ表現なのに、巻十の方はパターンとして、
但馬の方は、型を踏み外すことで、逆に魅力的な、
強烈な意志が歌われ、はっとさせられるものになっている、
というお話に続き、大変興奮しました。
宴などで、歌を詠みあって楽しむための、パターンとしての、
歌の作り方と、
自分の中から、あふれ出す思いを歌にするのと、
そのあたりの違いも、楽しむことができます。
もっともっと、いいお話、いっぱいだったんですが、
とってもここには、書ききれませんので、
今日はこの辺で。
いよいよ明日は、「くにっこ音楽祭」
明後日は、「チャリティー・ミュージック・ライブ in 福山駅前」
歌いに行きます。
皆さんとお会いできるのを、楽しみにしています。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司