今朝は、いつも楽しみにしている万葉集の講座に行ってきました。
今日も面白い話がいっぱいでしたよ。
素晴しい編集能力と、文章力と、読解力と、集中力と、
やさしさと、男気と、勇敢さと、おちゃめさ、があれば、
無茶苦茶、素敵な言葉で、さらっと、
皆さんに、お伝えしたいところですが、
いつも、やや、かげろう気味な者で、
ここにそれを、というわけにはいかないのが、
だいぶ、おしいですね。
だいぶ、おしい、とは、
良いのか、悪いのかわからぬ表現ですね。
今日は、このところずっと続いていた巻十の秋の歌、
「黄葉」と書いて「もみち」(もみじ)を詠む、を、
全部、読み終えた形です。
万葉集全4516首のうち、
2178から2218までの歌がそれにあたります。
今日のポイントは、「類歌」ですね。
よく似た歌です。
このあたりにくると、類歌が非常に多い。
なぜか?
当時の人たちの歌を作るという営みが、
どういうことだったか、わかってくる。
当時は、ある程度、特に平安以降は、
歌のお手本がある。
それを見ながら作っていく。
その実態が、黄葉を詠む、の中から見えてくる。
つまり、それまでにある、いろんな歌を、
いろいろに組み合わせていけば、
なんとなく、歌らしきものが、出来上がるので、
宴の席などで、歌を披露するとき、
そういうことをして、歌を作っていたというのが、
わかってくるわけです。
我がやどの 萩の下葉は 色付きにけり
とあれば、この「萩の下葉」が、ちょっと使い古された感じがするし、
そこを変えたら、いいじゃないか、
と思った人がいたんですね。
我がやどの 秋の萩原 色付きにけり
「秋の萩原」などという、どこかで覚えたようなものを、
入れ込むわけです。
我がやど、というのは、自分の家の庭先、みたいな意味ですが、
そこが「萩原」、ものすごく広大な敷地、みたいなことになりまして、
おかしなことになるんですね。
「万葉集」っていうと、全部、素晴しいような気がしますが、
こういうちぐはぐなものも、けっこうあるんですね。
ほかの歌を引用したりする、ということでは、
もっと、ちゃんとした「本歌取り」というのがあります。
元の歌を、いかに上手く使って、
よりイメージを膨らませることが出来るか、
どれだけの歌を知っているか、というような、
巧妙で、聞く人が聞けばわかる、高度な技巧です。
あと、今日、知った面白いことは、
中国の古代の説話には、月に、桂の巨木がある、と。
秋に月が美しいのは、
その巨木が色づくから、という歌があるというお話。
それから、日本という国の名は、
太陽が昇る国という意味ですが、
これは、日本の人がつけたものではないことがわかる、
というお話。
東の果てから太陽が昇る、そこにある国だから、日本というわけですが、
日本の人から見れば、太陽は、もっと向こうのほうから昇りますからね。
江戸時代の国学者などは、「日本」以前の国号にこだわって、
「大和」を使った、と。
ま、そんなようなことで、面白いお話がいっぱいで、
楽しすぎて、かげろうのような者、
うすばかげろうのような者になったような、ことです。
そうえいば、この講座の先生が、笑い話として、
以前、話してくださったのは、
詩人だったか、どなたかが「うすばかげろう」と聞くと、
どうしても、「薄馬鹿下郎」と思ってしまうのだと言ったんだったか、
というような、それを、思い出しました。
今日、もう、午後ですが、素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
今日も面白い話がいっぱいでしたよ。
素晴しい編集能力と、文章力と、読解力と、集中力と、
やさしさと、男気と、勇敢さと、おちゃめさ、があれば、
無茶苦茶、素敵な言葉で、さらっと、
皆さんに、お伝えしたいところですが、
いつも、やや、かげろう気味な者で、
ここにそれを、というわけにはいかないのが、
だいぶ、おしいですね。
だいぶ、おしい、とは、
良いのか、悪いのかわからぬ表現ですね。
今日は、このところずっと続いていた巻十の秋の歌、
「黄葉」と書いて「もみち」(もみじ)を詠む、を、
全部、読み終えた形です。
万葉集全4516首のうち、
2178から2218までの歌がそれにあたります。
今日のポイントは、「類歌」ですね。
よく似た歌です。
このあたりにくると、類歌が非常に多い。
なぜか?
当時の人たちの歌を作るという営みが、
どういうことだったか、わかってくる。
当時は、ある程度、特に平安以降は、
歌のお手本がある。
それを見ながら作っていく。
その実態が、黄葉を詠む、の中から見えてくる。
つまり、それまでにある、いろんな歌を、
いろいろに組み合わせていけば、
なんとなく、歌らしきものが、出来上がるので、
宴の席などで、歌を披露するとき、
そういうことをして、歌を作っていたというのが、
わかってくるわけです。
我がやどの 萩の下葉は 色付きにけり
とあれば、この「萩の下葉」が、ちょっと使い古された感じがするし、
そこを変えたら、いいじゃないか、
と思った人がいたんですね。
我がやどの 秋の萩原 色付きにけり
「秋の萩原」などという、どこかで覚えたようなものを、
入れ込むわけです。
我がやど、というのは、自分の家の庭先、みたいな意味ですが、
そこが「萩原」、ものすごく広大な敷地、みたいなことになりまして、
おかしなことになるんですね。
「万葉集」っていうと、全部、素晴しいような気がしますが、
こういうちぐはぐなものも、けっこうあるんですね。
ほかの歌を引用したりする、ということでは、
もっと、ちゃんとした「本歌取り」というのがあります。
元の歌を、いかに上手く使って、
よりイメージを膨らませることが出来るか、
どれだけの歌を知っているか、というような、
巧妙で、聞く人が聞けばわかる、高度な技巧です。
あと、今日、知った面白いことは、
中国の古代の説話には、月に、桂の巨木がある、と。
秋に月が美しいのは、
その巨木が色づくから、という歌があるというお話。
それから、日本という国の名は、
太陽が昇る国という意味ですが、
これは、日本の人がつけたものではないことがわかる、
というお話。
東の果てから太陽が昇る、そこにある国だから、日本というわけですが、
日本の人から見れば、太陽は、もっと向こうのほうから昇りますからね。
江戸時代の国学者などは、「日本」以前の国号にこだわって、
「大和」を使った、と。
ま、そんなようなことで、面白いお話がいっぱいで、
楽しすぎて、かげろうのような者、
うすばかげろうのような者になったような、ことです。
そうえいば、この講座の先生が、笑い話として、
以前、話してくださったのは、
詩人だったか、どなたかが「うすばかげろう」と聞くと、
どうしても、「薄馬鹿下郎」と思ってしまうのだと言ったんだったか、
というような、それを、思い出しました。
今日、もう、午後ですが、素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司