毎夜、ジョギングに出ていますが、
いつも元気に鳴いている、いわゆる秋の虫。
だいたい、いつも同じように鳴いているあの虫は、
いつもの「彼」なのでしょうか。
それとも「別人」なのでしょうか。
いつもの「彼」なら、なかなか共寝の相手が見つからず、
ずっと鳴き続けている、ということになりますか。
万葉集の鹿の歌を、思い出します。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず い寝にけらしも
夕方になると、いつも小倉の山で鳴いている鹿が、今夜は鳴かない。
たぶん、もう寝てしまったのだろう。
共寝の相手が見つかって、もう寝ているんだね、もう鳴かなくていいんだね、
みたいな解釈もあるんです。
いつも同じ場所で、同じように鳴いている「彼」は、
僕などが聞けば、同じ「彼」なんだろうな、と思うわけです。
今夜も、相手が見つからないのだな。
鳴き方が下手なのか、なんとなく不器用なのか、流行のルックスではないのか、
人見知りか、理想が高すぎるのか、もうヤケクソなのか、
同情することです。
阿倍仲麻呂の歌に、
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」(古今集)があります。
大空を振り仰げば、あれは、昔見た、奈良の三笠山から出ていた、同じ月なんだなぁ、と。
奈良時代、19歳で遣唐使として中国にわたり、高官にのぼるも、
日本への帰国を果たせず、唐で72歳の生涯を終えた仲麻呂。
夜空にあって、形が変わったり、出たり出なかったりする月を、
奈良時代の人が、どんなものとして見ていたのか、わかりませんが、
奈良から、遠く離れた、唐にいて、仲麻呂は、
あれは、同じ月だと、思えたんですね。
今日は雨。
雨の日は、「彼」は、どうしているのか。
はやく素敵な相手が見つかると、いいですね。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
いつも元気に鳴いている、いわゆる秋の虫。
だいたい、いつも同じように鳴いているあの虫は、
いつもの「彼」なのでしょうか。
それとも「別人」なのでしょうか。
いつもの「彼」なら、なかなか共寝の相手が見つからず、
ずっと鳴き続けている、ということになりますか。
万葉集の鹿の歌を、思い出します。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず い寝にけらしも
夕方になると、いつも小倉の山で鳴いている鹿が、今夜は鳴かない。
たぶん、もう寝てしまったのだろう。
共寝の相手が見つかって、もう寝ているんだね、もう鳴かなくていいんだね、
みたいな解釈もあるんです。
いつも同じ場所で、同じように鳴いている「彼」は、
僕などが聞けば、同じ「彼」なんだろうな、と思うわけです。
今夜も、相手が見つからないのだな。
鳴き方が下手なのか、なんとなく不器用なのか、流行のルックスではないのか、
人見知りか、理想が高すぎるのか、もうヤケクソなのか、
同情することです。
阿倍仲麻呂の歌に、
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」(古今集)があります。
大空を振り仰げば、あれは、昔見た、奈良の三笠山から出ていた、同じ月なんだなぁ、と。
奈良時代、19歳で遣唐使として中国にわたり、高官にのぼるも、
日本への帰国を果たせず、唐で72歳の生涯を終えた仲麻呂。
夜空にあって、形が変わったり、出たり出なかったりする月を、
奈良時代の人が、どんなものとして見ていたのか、わかりませんが、
奈良から、遠く離れた、唐にいて、仲麻呂は、
あれは、同じ月だと、思えたんですね。
今日は雨。
雨の日は、「彼」は、どうしているのか。
はやく素敵な相手が見つかると、いいですね。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司