今朝のレコードは、
「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」
1954年12月22日と24日のニューヨーク録音。

クリフォード・ブラウンは、
昨日書いた、サラ・ヴォーンのレコードでも、
トランペットを吹いてます。

全曲、クインシー・ジョーンズのアレンジ。

ヘレン・メリルの歌声は、しばしば、
「ニューヨークのため息」と評される、と。

1930年7月21日生まれ、と。

この録音の時は、24歳ですか。

14歳から、ジャスクラブで歌うようになったそうですから、
すでにキャリアは、10年なんですね。

ニューヨークは、僕が20歳ころに2週間ぐらい、
一人で行って、
ただ、コンサートやミュージカルを、
毎日見て過ごしたことがあるんですが、
すごすぎて、ま、言葉の問題もあって、
よくわからなかったという状態でした。

キャッツ
ビー・ハイブ
リトル・ショップ・オブ・ホラー
ママ・アイ・ウォント・トゥー・シング
スター・ライト・エクスプレスなどの、
当時流行ってた、大きめのミュージカルや、
オフ・オフ・ブロードウェイといわれる、
小さな劇場のものも、いくつか見、
コンサートは、これも当時人気の、
ハワード・ジョーンズ、
ブライアン・アダムス、
なんかが、
マジソンスクエアーガーデンでやってたので、
見ました。
ブライアン・アダムスの前座に、
ブレイク直前のフーターズが出てました。
エイドリアン・ブリューのベアーズも見たし、
ビリー・ジョエルも見たかな。
とにかく、テレビでよく見る人たちが、
次々、普通にコンサートしてるっていうのが、
なんか、すごいな、と思ったような。

やはり当時ヒットしてた人気の女性バンドで、
プリンスが曲書いてたりした、
バングルスも野外で見ました。
機材トラブルで、しばらく演奏中断して、
キーボードのおじさんが、
間をつないでた、みたいな。

あと、ロックバンドが次々出てるクラブとか、
ジャズクラブとかの小さいところにも、
いくつか行きました。
出てるバンドが皆、無茶苦茶上手くて、
さすが、ニューヨークでした。

偶然、サイズの松浦さん、
チャカさんもいらしたのかな、
マネージャーさん、
ソニーの今泉さん、
ダンサーの南流石さんたちと合流して、
ディスコにも行きました。

ダコタハウスにも行ったし、
セントラルパーク、リバティー島なども、
観光しました。
リバティー島に行こうとして乗ったフェリーが、
スタッテン島行きだったので、
思いがけない島に、着いてしまったり。

そんなこと書いてるうちに、
「ニューヨークのため息」のレコードは、
終わってて、
今は、マイルスの、
「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」。
それも、すでにB面。

コルトレーンのサックス・ソロが聞こえてます。

1961年のニューヨーク録音。

ふらっと尾道のあとは、
ふらっとニューヨークも、
いいな、などと。
遠出もだいぶ遠出ですが。

ま、「ため息」ってところで、
こちらも、デビュー曲、ため息の~、でしたもので。

マイナーコードね。
具体的には、曲のキーが、Amってことですけど。

ちょっと長くなりました。

本日も、素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌ってます。

洋司