ジョンが、ヨーコの個展「未完成の絵画とオブジェ」に、
行ったのは、1966年の11月9日、と。
それが、ジョンとヨーコの出会い。

言えば、僕がちょうど生まれたての、ころで、
ま、それは無関係ですが。

ジョンは、オープン前の会場に行って、
「釘を打ちなさい」とかいう作品を見て、
釘を打とうとしたところ、
ヨーコが、
釘を打つには、5シリング必要よ、と、
言ったそうで、
するとジョンは、
想像の釘を打たせてくれるなら、
想像の5シリングをあげよう、
と言ったとか。

その時ヨーコは、ジョンのことも、
ビートルズのこともよく知らなかったそうです。

「彼はとても礼儀正しい人のように思えました。
それから、目が合ったので
『息をしなさい』と書かれたカードを手渡すと、
彼は一生懸命そのとおりにするのです。
わたしたちは、声をそろえて笑いました。
とても心温まる美しい一瞬でした。」と、ヨーコ。


「天井の絵」っていう作品で、
はしごを上っていくと、
虫眼鏡がぶら下がってて、
それで、天井を見れば、
「Yes」と、
それで、
「心温まる気持ちにさせてくれる、
初めての美術展だ、と思った」と、ジョン。

当時のジョンといえば、
1962年、イギリスでデビュー。
1963年に国内で大ヒット。
1964年にアメリカでも大成功し、
ワールドツアー、作曲、録音、
テレビ、ラジオ、映画、とにかく、大忙し。
そんな中、
「ビートルズはキリストより有名」みたいな、
ごく親しい間柄と思ってた人に、取材で、
軽く言ったつもりの発言が、
そこだけ取り上げられて、
大問題になって、本当に命を狙われかけたり、
ツアー先で、その地のお偉いさんたちのために、
いろいろ本意ではないことを、させられたり、
ある地では、それを断っただか、
連絡の行き違いだかで、結果的に、無視したような
形になり、逮捕されかけて、やっとの思いで、
その地を逃れたり、
ツアー先でも、ホテルと会場だけに、缶詰で、
自由はほぼない、みたいな、
もう、だいぶ、煮詰まってて、
1966年8月で、コンサート活動は、しないことに。
ビートルズは、もう、終わるのだろう。
自分は、どうなるんだろう、みたいな、
そんな時期でもあったみたい、です。

ビートルズ以外の仕事で、
はじめて一人で、映画「僕の戦争」に出たりして、
スペインに行って帰ってきて、わりとすぐ、
ヨーコの個展に、行った感じですね。

そのタイミングだったから、
「Yes」を、見て、
心温まり具合が、だいぶ、
温まったんだな、と思ったり。

それとは、これとは、無関係ながら、
僕も、昨年の25周年にあたって、
皆さんから、いろんな形で、
心ささえられたり、心温められたりしてるなぁ、と、
あらためてですが、
感謝の気持ちふくらみ、
元気をもらって、
明るい笑顔で日々、
作品作りに、過ごさせていただいてますよ。

また、作品で、あるいは、ライブ等で、
お目にかかれる日を、楽しみにしています。

今日も、空が、美しく、胸いっぱいです。

洋司