昨日の万葉集の講座で、
国樔人(くにすひと)という、いわゆる、先住民族のお話がありました。
日本書紀の応神紀から。
十九年冬十月一日、吉野宮に臨幸された。
その時、国樔人が来朝した。濃い酒を天皇に奉り、歌を詠んで、
「樫の生えている所で横臼を作り、その横臼で醸した大御酒を、おいしく召し上がってください、我が父よ。」
と申し上げた。
歌を詠み終わって、すぐに手で口を打ち、上を向いて笑った。
手で口を打ち、上を向いて笑う、とは、
ちょっと、インディアンのポーズみたいなのが、あったのかもしれません。
「国樔は、その人となりがきわめて淳朴(じゅんぼく)である。
いつも山の木の実を取って食べ~」云々と、
応神紀のは、国樔人の説明がいろいろ、書いてあります。
ちょっと調べてみると、
こんなサイトが。
こちら。
そこには、
「一説には、大和朝廷をはじめとする渡来系の支配者が現れる前の先住民の一族とも言われている。
生活スタイルは、狩猟・採集で、縄文人というわけだ。
その国樔人が、応神天皇を手厚く迎えたというわけだから、ここでは渡来系の弥生人と先住民の縄文時との間に、もはや確執は生じていないということがうかがえる。
国樔人が屈したのか、それとも和解したのか、いずれにしても、先住民のご馳走を奉っているところもおもしろい。」と。
僕について言えば、
大声で笑う、ということが、ほとんどありません。
前にも、ワッハッハには、憧れると、書いたことがありますが、
この、歌を詠み終わってすぐ、手で口を打ち、上を向いて笑った。
これは、ちょっと、やってみたいところです。
洋司
国樔人(くにすひと)という、いわゆる、先住民族のお話がありました。
日本書紀の応神紀から。
十九年冬十月一日、吉野宮に臨幸された。
その時、国樔人が来朝した。濃い酒を天皇に奉り、歌を詠んで、
「樫の生えている所で横臼を作り、その横臼で醸した大御酒を、おいしく召し上がってください、我が父よ。」
と申し上げた。
歌を詠み終わって、すぐに手で口を打ち、上を向いて笑った。
手で口を打ち、上を向いて笑う、とは、
ちょっと、インディアンのポーズみたいなのが、あったのかもしれません。
「国樔は、その人となりがきわめて淳朴(じゅんぼく)である。
いつも山の木の実を取って食べ~」云々と、
応神紀のは、国樔人の説明がいろいろ、書いてあります。
ちょっと調べてみると、
こんなサイトが。
こちら。
そこには、
「一説には、大和朝廷をはじめとする渡来系の支配者が現れる前の先住民の一族とも言われている。
生活スタイルは、狩猟・採集で、縄文人というわけだ。
その国樔人が、応神天皇を手厚く迎えたというわけだから、ここでは渡来系の弥生人と先住民の縄文時との間に、もはや確執は生じていないということがうかがえる。
国樔人が屈したのか、それとも和解したのか、いずれにしても、先住民のご馳走を奉っているところもおもしろい。」と。
僕について言えば、
大声で笑う、ということが、ほとんどありません。
前にも、ワッハッハには、憧れると、書いたことがありますが、
この、歌を詠み終わってすぐ、手で口を打ち、上を向いて笑った。
これは、ちょっと、やってみたいところです。
洋司