三島由紀夫「行動学入門」、
これは、だいぶ前に買って、ちょっとだけ読んで、
本棚にしまって、そのままになっていたのであった。

前、読んだときには、たまたま、
モンキーダンスに関するエッセイがあるのを、見つけて、
そのことを、ここにも、書いた気がするし、
僕のライブでも、モンキーダンスになる場面が、
あった気がする。

僕が数年前、「真珠区」っていうアルバムで、
田辺昭知とザ・スパイダースの、
「モンキーダンス」のリフをヒントに作った曲があって、
それで、モンキーダンスだったわけである。

三島のエッセイで、モンキーダンスが出てくるのが、
楽しかった。
三島も、銀座の「モンキーダンスを踊らせるエレキの店」に、
通った時期があったのであった。

昨日、やっとこの薄い本を、読み終えた。
「革命哲学としての陽明学」というエッセイがよかった。

あとがきは、昭和45年10月に書いたらしい。
自決の一月前。

三島こそ、
もう、一月のほとんどの時間を、
ひとり原稿用紙に向かい、
身を削る思いで小説を書いた人であったそうであるが、
それでも、
ボディー・ビル、空手、ボクシング、剣道、
軍事訓練など、熱心に取り組んでたことも有名である。

解説を読めば、虫明亜呂無という人が、
「その作業を続けていくために、
必要な精神衛生上の手段だったと言ってもよい」と、
書いておられる。

三島は、
「作家というのは、作品の原因ではなくて、
作品の結果ですからね。自己に不可避性を課したり、
必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。
そういう結果は、ぼくはむしろ、自分の運命として甘受したほうが
いいと思います。
ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、
ばかばかしくみえようと、
気違いじみてみえようと、それはけっきょく、
自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。
ところがそれは、太宰治のような意味とは、違うわけです。
ぼくは、芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。
しかし、その芸術の結果が、生活にある必然を命ずれば、
それは実は、芸術の結果ではなくて、運命なのだ。」と。

ちょっと長い引用になった。
「行動学入門」の解説に、このことが、書いてあるので、
興味ある方は、どうぞ。

三島は、太宰のことが嫌いで、
学生時代に、太宰に会ったときに、そのことを、
言ったそうだし、
体が弱いなら、乾布摩擦すれば、いいんだ、とも。

「仮面の告白」は、わざと太宰とは違う方法で書いたとか、
やっぱり、太宰を意識してるんだ、とか、
いろいろ言う人もあるようだけど、
出発も結果も、
太宰にあてはまる部分もけっこうあるなぁ、と、
太宰ファンとしては、思うのであった。

太宰の小説にも、お侍が出てくるし、
兵隊に行った友達のことも出てくる。

三島の小説に出てくる、侍や軍人とは、
全然ちがう感じである。

僕は、どっちかというと、
太宰のちょっとファンタジーな、
お侍さん、とか、兵隊さんが好きだけど、
三島の、侍、軍人も、ずっしり重くて、
読んだ後、顔つき変わるような気がする。

どっちも好きである。

洋司