昨日は、朝から万葉集の講座に。
またまた、素晴しいお話で、「おおぉぉぉ!」と、
心の中で、叫び続けることでした。
巻十の、春の相聞。
相聞というのは、だいたい恋の歌です。
柿本人麻呂歌集からの七首。
原文は例えば、
霞発春永日恋暮夜深去妹相鴨
とあって、
夜深去妹相鴨の部分を読もうとすると、
ヨノフケユケハ(バ)イモニシアヘルカモ
ヨフカクユキテ イモニアヘルカモ
ヨノフケヌレバ イモガアヘルカモ
ヨモフケユクニ イモモアハヌカモ
などなど、いろんな読み方ができるし、
読み方によって、意味が、変わってくる。
それは、人麻呂が、助詞を省略しているから。
人麻呂は、なぜ、そうしたのか。
江戸時代は、馬上筆記といって、メモ的に書きとめたのだろう、
と説明されたりもしたそう。
漢字が伝わったころは、
助詞のない中国の書き方にならって、未熟なまま書いていたのが、
じょじょに、助詞を書き加えるようになったのか、
最初は、漢字を、日本語に当てはめて、一時一音で書いていたか、
中国の詩の書き方を真似て、わざと助詞を省略したか、
また、新たに見つかる資料から、わかることもあり、と、
いろんな説を話してくださり、
目くるめくことでした。
「米洗う、前に蛍」というのと、
「米洗う、前を蛍」というのでは、
前者は、蛍は、止まっている、
後者は、蛍は、動いている、と、
一文字、違うだけで、こんなに、イメージの広がりが、違う、
というお話なども。
帰りの景色、行きと同じなのに、
きゅうに、世界がすべて、
ぐっと美しく見えたりするのでした。
洋司
またまた、素晴しいお話で、「おおぉぉぉ!」と、
心の中で、叫び続けることでした。
巻十の、春の相聞。
相聞というのは、だいたい恋の歌です。
柿本人麻呂歌集からの七首。
原文は例えば、
霞発春永日恋暮夜深去妹相鴨
とあって、
夜深去妹相鴨の部分を読もうとすると、
ヨノフケユケハ(バ)イモニシアヘルカモ
ヨフカクユキテ イモニアヘルカモ
ヨノフケヌレバ イモガアヘルカモ
ヨモフケユクニ イモモアハヌカモ
などなど、いろんな読み方ができるし、
読み方によって、意味が、変わってくる。
それは、人麻呂が、助詞を省略しているから。
人麻呂は、なぜ、そうしたのか。
江戸時代は、馬上筆記といって、メモ的に書きとめたのだろう、
と説明されたりもしたそう。
漢字が伝わったころは、
助詞のない中国の書き方にならって、未熟なまま書いていたのが、
じょじょに、助詞を書き加えるようになったのか、
最初は、漢字を、日本語に当てはめて、一時一音で書いていたか、
中国の詩の書き方を真似て、わざと助詞を省略したか、
また、新たに見つかる資料から、わかることもあり、と、
いろんな説を話してくださり、
目くるめくことでした。
「米洗う、前に蛍」というのと、
「米洗う、前を蛍」というのでは、
前者は、蛍は、止まっている、
後者は、蛍は、動いている、と、
一文字、違うだけで、こんなに、イメージの広がりが、違う、
というお話なども。
帰りの景色、行きと同じなのに、
きゅうに、世界がすべて、
ぐっと美しく見えたりするのでした。
洋司