なぜか、ふいに、
大きな栗の木の下で、と
鼻歌したところである。
あなたと私。
イガイガが落ちる季節では、
ちょっと、大変そうである。
仲良く遊びましょう。
そこの振り付けは、
右手と左手を、胸にあてて、
首を左右にかしげるのだったかな。
楽しそうである。
作詞作曲者不詳で、
一番の日本語訳詞者も、不詳だそうである。
遊びましょう、
の後に、もう一度、
大きな栗の木の下で、
と歌われるところに、
なにか、キュンとくるのであった。
もう、そこになくなってしまった、なにかを、
愛しんでいるような。
なぜなのか、ボブ・ディランの、
なにか、塀の中で空を見てる的な歌を、
思い出すのであった。
そうしてると、「フォース・タイム・アラウンド」が、
聞きたくなった。
今、かけて、聞いている。
このまま「ローランドの悲しい目の乙女」まで、
聞かせていただきます。
では。
洋司
大きな栗の木の下で、と
鼻歌したところである。
あなたと私。
イガイガが落ちる季節では、
ちょっと、大変そうである。
仲良く遊びましょう。
そこの振り付けは、
右手と左手を、胸にあてて、
首を左右にかしげるのだったかな。
楽しそうである。
作詞作曲者不詳で、
一番の日本語訳詞者も、不詳だそうである。
遊びましょう、
の後に、もう一度、
大きな栗の木の下で、
と歌われるところに、
なにか、キュンとくるのであった。
もう、そこになくなってしまった、なにかを、
愛しんでいるような。
なぜなのか、ボブ・ディランの、
なにか、塀の中で空を見てる的な歌を、
思い出すのであった。
そうしてると、「フォース・タイム・アラウンド」が、
聞きたくなった。
今、かけて、聞いている。
このまま「ローランドの悲しい目の乙女」まで、
聞かせていただきます。
では。
洋司