久しぶりのような、真っ青な空の朝です。
夢の話になりますが、
僕は、よく見る夢に、
今朝みたいな、真っ青な空、があるなぁ、
と思います。
今日は、真っ青なんだよなぁ、と、
カーテンを開けると、
夢のままの真っ青、みたいな。
こんな青空、どこかで見たなぁ、
あぁ、夢で、かぁ。
あとは、大海の波も、よく見る気がします。
夢判断など、あまり知りませんが、
万葉の頃の話になると、
例えば、
好きな人が、夢に出てくるというのは、
その人が、自分に会いたがってるのだ、と、
思ったそうです。
その頃の人たちの、
考えていたこととか、やっているとことか、
現代の僕らから見ると、
逆のような気がしたり、
なぜ眉がかゆいのが、恋人に会える前兆なんだ、
など、不思議に感じることが多いですが、
そういうことを、信じられるなんて、
なにかの影響があるにしても、
今と比べたら、心の素のようなところで、
感じられたことも、多かったのだろうなぁ、と。
言葉がない時に、
「ありがとう」など、どうしても伝えたいときに、
「あー」と言ったり、「おー」と言ったり、
したのかもしれないけれど、
「ありがとう」を知っていれば、その言葉のないことが、
だいぶ、もどかしいところが、
知らないと、「あー」とか「おー」で、
あるいは、無音で、どれだけのことを、伝え合えていたか、
ま、そのようなことが、
夢にあの人が出て、会いたがってる、というところと、
なにか、繋がってるような。
万葉の頃の人は、どうしたって、
パソコンや高層ビル群なんかの夢は、
見られないかったと思いますが、
それでも、
青空や、大海の夢は、見たでしょう。
こんな夢を見た日は、
こんなことがあったよ、など、
思ったり、話し合ったり、していたのでしょう。
今朝、青空の夢だったよ、と話せば、
万葉の頃の人と、話が、合いそうで、
楽しいのでした。
長くてすみません。
洋司
夢の話になりますが、
僕は、よく見る夢に、
今朝みたいな、真っ青な空、があるなぁ、
と思います。
今日は、真っ青なんだよなぁ、と、
カーテンを開けると、
夢のままの真っ青、みたいな。
こんな青空、どこかで見たなぁ、
あぁ、夢で、かぁ。
あとは、大海の波も、よく見る気がします。
夢判断など、あまり知りませんが、
万葉の頃の話になると、
例えば、
好きな人が、夢に出てくるというのは、
その人が、自分に会いたがってるのだ、と、
思ったそうです。
その頃の人たちの、
考えていたこととか、やっているとことか、
現代の僕らから見ると、
逆のような気がしたり、
なぜ眉がかゆいのが、恋人に会える前兆なんだ、
など、不思議に感じることが多いですが、
そういうことを、信じられるなんて、
なにかの影響があるにしても、
今と比べたら、心の素のようなところで、
感じられたことも、多かったのだろうなぁ、と。
言葉がない時に、
「ありがとう」など、どうしても伝えたいときに、
「あー」と言ったり、「おー」と言ったり、
したのかもしれないけれど、
「ありがとう」を知っていれば、その言葉のないことが、
だいぶ、もどかしいところが、
知らないと、「あー」とか「おー」で、
あるいは、無音で、どれだけのことを、伝え合えていたか、
ま、そのようなことが、
夢にあの人が出て、会いたがってる、というところと、
なにか、繋がってるような。
万葉の頃の人は、どうしたって、
パソコンや高層ビル群なんかの夢は、
見られないかったと思いますが、
それでも、
青空や、大海の夢は、見たでしょう。
こんな夢を見た日は、
こんなことがあったよ、など、
思ったり、話し合ったり、していたのでしょう。
今朝、青空の夢だったよ、と話せば、
万葉の頃の人と、話が、合いそうで、
楽しいのでした。
長くてすみません。
洋司