万葉集の講座、昨日で、巻九が終わったのであった。
万葉集は、二十巻あるけれども、
量的には、これで、ほぼ半分と。

この講座は、ここまでに、10年かかったそうである。

僕は、まだ、2年ほどしか通ってない。
巻七の終わりぐらいからの参加なのである。

昨日も、良いお話を、たっぷり。

枕詞に関するお話は、毎回あるのである。

どうして、その言葉が、枕詞なのか、
わからないけれども、いろんな説がある、と、
丁寧に話してくださる。

1804の田辺福麻呂(たなべのさきまろ)の歌は、
枕詞がたくさん出てくる。

それを、枕詞の使用がいたずらに煩多、
集中悪作の好例と言う学者もあれば、
枕詞に深い悲哀と華麗な趣を与えているという歌人もある、と。

枕詞、というのは、現代の人の暮らしの中では、
知識でしかないのであるが、
万葉の時代には、
そこに、呪術てきな意味合いもあったかもしれないし、
その感覚的なことも、本当のところは、
現代の我々には、わからない、と。

奈良時代から残る、
薬師寺の東塔は、その風情を「凍れる音楽」と讃えらる。
その横に、西塔が再建されるときには、
せっかくの東塔の横にけばけばしい塔をたてるなど、
とんでもない、という声もあったそう。

けれども、奈良時代の人が見たら、
今の東塔は、ぼろぼろでがっかりするかもしれず、
原色の煌びやかなものこそ、喜んだかもしれない。

そういう感覚も、本当のところは、わからない。

わびさび、などという感覚を得ている、
現代の日本人の感覚も、
面白いと思う。

脱線すれば、ジョン・レノンが、日本語を、
理解しようとして、
「wabisii(わびしい)」という独特な感覚を、
絵に描いていたりする。

わからないところも含めて、あれこれ思うのも、
楽しいし、現代の感覚で、勝手に解釈して楽しむのも、
面白い。

講座は、しばし、夏休み。

秋から、巻十が始まるのを、
楽しみにしているのである。

洋司