昨日の万葉集の講座、
まずは、
天平五年(733年)の遣唐使の船が、
難波を発って海に入る時に、
親母(おや)が子に贈った歌、から習いました。

590人が、4船で、
4月に出発し、中国に上陸したのは、8月。
そこからは徒歩の旅で、
長安に到着したのは、翌年の10月。

まず、長歌があって、そのあとに、とても有名な反歌が続きます。

旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群

大陸の冬は寒いらしいからと、母親が、
異国の原野を行く我が子の苦労を具体的に、
思いやっている歌です。

羽ぐくむ、という言葉は、
今の、育む、とはちょっと違う使い方をしたようです。

鳥が、翼で雛をおおう、というところから、
人を大切にいたわる、という感じ。

中国の覆翼(ふくよく)という言葉の翻訳が羽ぐくむだそう。

その時の遣唐使の、誰の親だったのかは、わかっていませんが、
羽ぐくむという一般的でない言葉を使っているところから、
教養のある人だったことは、わかるようです。

羅針盤もなく、船も小さい、やっと上陸できてもそこからは、
一年以上、歩き。
当時の旅は、大変な旅です。

僕も、本日から、中国へ行って来ます。
ほんの数時間で到着。
28日には、もう戻ってきます。

遣唐使が聞いたら、びっくりですね。

旅の詳しい内容は、今は発表できませんが、
街の様子やら、僕なりの「出来心」は書き留めてきますので、
帰ってきたら、MMRに転送させていただきます。

それでは行って来ます。

洋司