昨日は、万葉集の講座に。

高橋虫麻呂ならではの感性、目線などが、
歌や先生のお話から、徐々に見えてくるのが、
楽しいのであった。

天平の貴族文化の中に身を置いて、
要請により、風雅を歌ったり、主人のために歌ったり、
するのであるが、それだけではない。

天皇の行幸に随うほどの身分でもなかったために、
一人、気楽に、時にユーモラスにも、歌を詠むのであった。

伝説好きで、浦島さんのことを歌ったり、
都の人が聞いても、地方のことがよくわかるように、
細かく、具体的な描写にこだわって歌ったり、
自分の仕えている人のために、
桜が散らないでいてほしい、と歌ったり、
偉い人が来た時に、
良い天気で、見晴らしが良かったことを、
喜んで、はずむように歌ったり、
かと思うと、
ほととぎすの孤独な生い立ちや漂泊に、
興味を持って歌ったり。

どんな人物だったのかは、わからないのに、
虫麻呂を、好青年だと評価する研究者も、
多いそうである。

虫麻呂は、筑波山の歌も詠んでいる。
秋葉原からつくばエクスプレスですぐである。

男体山と女体山の交わるあたりで、
当時、歌垣が催された。
関東一円から、大勢の男女が集う情熱的な神事である。
五穀豊穣、子孫繁栄。

都の洗練された文化に触れていた虫麻呂には、
魅力的だったようで、
男体山に、雲が立ちのぼって時雨が降って、
びしょ濡れになっても、この楽しい一夜の半ばで、
帰ってたまるか、
みたいな、歌も詠んでいるようである。

近場の万葉をめぐりに、
ちょっと、筑波山に、エクスプレスで、
行ってみたくなったのであった。

洋司