既視感、デジャビュを、このごろはよく感じる。
子供の頃は、けっこう感じていた気がするが、
大人になるにつれて、あまり感じなくなってきていた。
子供の頃に、
この場面は、絶対に前に見たことがある、
と感じたデジャビュを、今でもはっきり覚えている。
それが、すごい象徴的な場面だったりすると、
ドラマティックでもあろうが、
別に、なんてことのない暮らしの1シーンなので、
そこに、意味を見出せないのである。
美しいものによけいな意味ないっす。
(自作、「意味ないっす」より。)
(エルビスの「トゥリート・ミー・ナイス」、かっこいい。)
尾道の実家で、そろばん塾やら習字教室やらを、
先生が来て、開いていて、
僕など、小学生の頃は、両方通っていたのであって、
学校の友達も、たくさん通っていたのであって、
始まるまでのあいだは、庭で、ボール遊びなどするのであって、
そのボールが転がったところを、
友達の西くんが拾うという、そのシーンである。
なぜ、このシーンを、三十数年も、覚えていなくてはならぬのか。
で、大人になって、あまりデジャビュを感じなくなった、と書いたが、
最近、ここにきて、また時々感じるようになってきた。
これはしかし、脳の発達ということと、
なにか関係があるのかもしれない、と思えばである、
成長段階、あるいは未熟な状態で、感じられる、
なにかしらの錯覚が、
ある段階になると、治まり、
また、さらなる段階に入ってくると、起こり始めるという、
なにやら、胸こそばゆいような、
背筋しびれるような、
そのような。
で、ふと見上げた書棚の場面は、確かに見覚えがある。
当たり前である。
毎日見ている風景である。
洋司
子供の頃は、けっこう感じていた気がするが、
大人になるにつれて、あまり感じなくなってきていた。
子供の頃に、
この場面は、絶対に前に見たことがある、
と感じたデジャビュを、今でもはっきり覚えている。
それが、すごい象徴的な場面だったりすると、
ドラマティックでもあろうが、
別に、なんてことのない暮らしの1シーンなので、
そこに、意味を見出せないのである。
美しいものによけいな意味ないっす。
(自作、「意味ないっす」より。)
(エルビスの「トゥリート・ミー・ナイス」、かっこいい。)
尾道の実家で、そろばん塾やら習字教室やらを、
先生が来て、開いていて、
僕など、小学生の頃は、両方通っていたのであって、
学校の友達も、たくさん通っていたのであって、
始まるまでのあいだは、庭で、ボール遊びなどするのであって、
そのボールが転がったところを、
友達の西くんが拾うという、そのシーンである。
なぜ、このシーンを、三十数年も、覚えていなくてはならぬのか。
で、大人になって、あまりデジャビュを感じなくなった、と書いたが、
最近、ここにきて、また時々感じるようになってきた。
これはしかし、脳の発達ということと、
なにか関係があるのかもしれない、と思えばである、
成長段階、あるいは未熟な状態で、感じられる、
なにかしらの錯覚が、
ある段階になると、治まり、
また、さらなる段階に入ってくると、起こり始めるという、
なにやら、胸こそばゆいような、
背筋しびれるような、
そのような。
で、ふと見上げた書棚の場面は、確かに見覚えがある。
当たり前である。
毎日見ている風景である。
洋司