今朝は、書初めで、習字。
書き終えたところ。
般若心経を一年半ほど、
書いている。
慣れてはきたが、上手にはならないのである。
練習用のノートからはじめて、
一月ちょっと、少しずつ練習し、
全部を書けるようになってから一年ほどは、
毎日書いていたが、
このごろは、時々である。
それでも続いている。
無心で書く、ということである。
しかし、僕の場合、
こんなにも、余計なことばかり考えるか、
というぐらい、あれこれ、頭に浮かぶことであった。
それでも、このごろは、特に、なにを考えるでもなく、
ただ、習字を楽しんで書けるようになってきた気がする。
先のライブの日も、出かける前に、余裕で書いていて、
気が付けば、出かける時間であった。
何も考えないのも、いけない場合もありそうである。
文字がなかった日本に、文字が伝わった時、
言葉を、書き記すことができるようになって、
どんなだったろう。
夢中で、書き記したか、
なにか恐れみたいなものが、あったか。
思いつくことは、文字で思いつくわけではないのであるから、
文字にせずに、しばらく頭の中、ということもよくあることである。
さ、思いついてるところを書き記すか。
洋司
書き終えたところ。
般若心経を一年半ほど、
書いている。
慣れてはきたが、上手にはならないのである。
練習用のノートからはじめて、
一月ちょっと、少しずつ練習し、
全部を書けるようになってから一年ほどは、
毎日書いていたが、
このごろは、時々である。
それでも続いている。
無心で書く、ということである。
しかし、僕の場合、
こんなにも、余計なことばかり考えるか、
というぐらい、あれこれ、頭に浮かぶことであった。
それでも、このごろは、特に、なにを考えるでもなく、
ただ、習字を楽しんで書けるようになってきた気がする。
先のライブの日も、出かける前に、余裕で書いていて、
気が付けば、出かける時間であった。
何も考えないのも、いけない場合もありそうである。
文字がなかった日本に、文字が伝わった時、
言葉を、書き記すことができるようになって、
どんなだったろう。
夢中で、書き記したか、
なにか恐れみたいなものが、あったか。
思いつくことは、文字で思いつくわけではないのであるから、
文字にせずに、しばらく頭の中、ということもよくあることである。
さ、思いついてるところを書き記すか。
洋司