寒いと、時に、突っ走るのである。
ジョギングの話である。

最初の100メートルぐらいを、
やけぎみに走り、
あとがバテバテという、
ダメな形になるのであった。

それでも、たまにすれ違うランナーがあると、
こちらも、かっこつけて、
スイスイ走っているように、見せ掛ける。

すると、意外と、いけるのである。

そうしてみると、
バテバテで、もうダメだ、と、
ゼイゼイ言っていたのは、
思い込みである。

スイスイ走るのも、かっこつけであるが、
険しい顔で、ゼイゼイやっているのも、
なにか、演技がかっている。

走って犯人を追う、ドラマの何とか刑事みたいな。

人前で、演技など、役者さんみたいなことは、
ほんとうに、できないものであるが、
意外と、一人では、演技めいたことを、
しているものなのかもしれない。

時々、イヤホンで音楽を聞きながら、
いい調子で、歌っているおにいさんを、
見かけることがあるが、
あれも、だいぶ、入り込んでいる。

よく思うのは、おじいさん。
あじいさんは、あれは、どこか、
ご自分で、おじいさんらしく、
していらっしゃるところが、あるんじゃなかろうか、と。

眉の上げ方ひとつにしても、
長年、生きてきた中で獲得した、
そこでしか出来ない方法を、
実践されてる、というような、感じがする。

などという、僕だって、なにかしら、
そういう部分が、無きにしもあらずで、
駅で切符を買うときの、ボタンの押し方だって、
二十代の時とは、違うやり方を、
半分以上は、意識的に、やっている気がするのである。

それが楽だというのも、あろうし、
面白がれる部分でもある。

昔は、こっちの勝手な思い込みで、
俳優さんと話してると、
いつも、演技されてるみたいで、
話しづらい感じがしたものであるが、
自然体、というのも、それはそれで、
それを演じているところは、あるのである。

で、俳優さんは、お芝居の中で、
さらに、それを、
演じられるのであるから、すごいことである。

お話のまとめ、として、
すごい、など、なしとしたいところであるが、
わかっていながら、すごい、しか書かないのであった。

すごい。

洋司