奈良の鹿の数が、減っているそうである。
食中毒などが原因だとか。

奈良公園などにいるのは、野生だそうで、
自然の中で、数のバランスは保たれていた、
というようなことを、タクシーの運転手さんから、
聞いたことがある。

先日の、明日香村での勉強会で、
鹿の出てくる歌のお話もあった。

ここに詳しくは書けないのであるが、
鹿の文芸、文学史が書けるほど、
鹿は古代の人間と、結びついている、と。

はじめは狩猟の対象としての鹿。
それが、次第に情緒あふれるものに、変容していく。

その中間にあるのが、ここによく書く、あの鹿の歌。

夕方になったらいつも鳴く鹿が、今日は鳴かないなぁ、と。

僕は、このあいだ、このお話の続き的なものを、
ファンクラブの会報の4コママンガにした、と書いた。

いつも鳴いている鹿が、今日は鳴かないなぁ、
さては、共寝の相手が見つかったんだな、
良かったね、とちょっと頬を赤らめる主人公。
で、結末、
鹿の鳴き声が、なぜ、聞こえないか、
それは、
その鹿、涙をこらえていたのであった、
という、
ちょっと切ない、なかなか良いストーリーであった。
自画自賛。

ところが、
先日、中西先生が、話してくださった、お話は、
また、別の展開。

天皇と皇后が、夕涼みをしながら鹿の声を聞いていた。
その声、清かにして悲し。
ところが、ある日、鳴かなくなった。
どうしたのかと思って、料理番を呼んで尋ねたら、
はたせるかな、そうだったと。

諧謔に違いないのであるが、
歌にたいして、誰もがあれこれ、想像を広げているのだなぁ、と、
ジーンとくるものがあった。
そのお話には、それこそ、歴史を感じた。

ライブのお知らせを、時々書かせていただけば、
偶然のように、それを見つけたり、
あるいは、それで暗示にかかったようになって、
ついに、ライブに足を運んでくださる方々が。

皆さんのコメント、楽しく拝見しています。
いつもありがとう。

洋司