「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」ロバート・アーウィン著を、
少しずつ読んでいるのである。

アラビアン・ナイトの物語が、どこから生まれて、
誰がどのように伝えてきたか、など、
面白いことが、たくさん書いてあるのである。

「宮廷社会やその礼儀、陰謀、とてつもない財宝について話すアラブの語り手は、舞台になっているのがいにしえのバグダッドだろうが北京だろうが、根も葉もない作り話をこしらえ上げて上流人士の生活ぶりを描写している。」

作り話とすれば、その想像力は、すごいことである。

そもそも、誰かが誰かに何かを話して楽しむ、ということが、
大昔にはじまったとして、
まずは、自分や、身近な人の身に起こった出来事を、
話すところから、はじまったろう、と思う。

それがだんだん、人から人へ伝わり、
尾ひれがついたり、
大げさなことになったりしても、
どこかには、そのお話の原型が、残っているんじゃないか、
などと、思ったりするのであるが、
それも、ファンタジーかもしれない。

話を面白くするためには、嘘でもなんでも、
なにしろ、それで生活している人たちもいたのであった。

「アラブの話し手は、細かい描写をどこまでも引き伸ばすという才能をもっている。朝方、これから旅立とうという主人公の馬具一式について語り始め、昼までかかってもまだ馬の尾についてかたっているだろう。」

物語は面白いことであるが、
その語り手の技術も、人をひきつけるものがあったのであった。

で、そういう語り手の人たちは、普段、
日常でも、おしゃべりだったのかなぁ。

日ごろから、あれこれ、すごい話をされては、
聞くほうも、なかなかに、大変であったろう。

ま、そんなことを思って、パソコンに向かっている者は、
口数少なく、小声の者なのである。

洋司