今朝の「日めくり万葉集」では、
白米や粟を、釜で炊いて、食べている場面が、
続いて出てきて、
炊きたてのご飯が、
とってもおいしそうであった。

何日か前の新聞に、
日本の人が皆、
白米を好きなだけ食べられるようになったのは、
昭和三十年代になってからだ、というようなことが、
書いてあった気がする。

僕も、ご飯は、大好きであるが、
そういえば清水君は、昔、
ご本人のプロフィールなどで、
好きな食べものを書く欄に、
米と書いていたと思う。

米をおかずに米を食う、
と言っていた。

面白く聞いたものであるが、
心のどこかでは、僕も、
それが羨ましいような気がしていた。

米粒ほどの、といえば、
とっても小さいことをいうわけであるが、
その、小さいものを、手間をかけて大事に育て、
たくさん集めて、殻を取って、きれいにして、
上手に炊いて、
日々の食べ物にする、という、遠い人たちの発想と努力に、
驚くし、感謝する。

いろんな思いの一粒一粒を、いただいている。

言えば、お米に限ったことではないわけであるが。

もし、僕が大昔の人なら、
腹が減った場合、
お米の一粒より、なにか、もっと大きななにかを、
食べて、それで満足していたような気がするのである。

大きなシロナガスクジラ。
小さなオキアミを、食べてるね。

洋司