朝から、ビル・エヴァンス、
「ワルツ・フォー・デビイ」を聞いているところ。

窓の外は薄曇で、丁度いい。

昨日は、グールドの、シェーンベルグやバッハを、
聞いていた。

聞いていたというか、
音楽を流しながら、思案。

気分が変わって、楽しいのである。
本当に、なにか、透明な水に、
いろんな色の絵の具を溶かすような感じで、
気分が変わってゆくのが、面白い。

「ワルツ・フォー・デビイ」は、石田衣良の小説、
「池袋ウエストゲートパーク」に出てきたことがある。
ライブ音源の観客のグラスがカチカチいう音が云々と、
書かれていたような覚えがあるが、
実際、聞いてると、
そういう音が聞こえて、
店にいるような気がしてくるのである。

僕も、たまに、外の店で、
詞を書いたりすることもある。

このあいだなど、満員の電車の中でも、
書いていた。

すぐそばで、学生さんたちが、
話していたけど、ほとんど気にならずに、
狭いスペースで、ノートを小さく開いて、
書いていて、楽しいことであった。

道を歩きながら、考えて、
思いついたところを、繰り返しながら、
歩いていることもある。

けれど、
いつでも、どこででも、書いているわけではなくて、
特に、電車、などとなると、
そういう場合は、そこで書かないことには、
間に合わない、ということがある。

一方で、時計の音が、小さくチクチクいうのが、
気になって、いけない、という時もあるのである。

昔は、そんなことのほうが、多かったかな。

それもこれも、外側ではなにも変わっていなく、
昨日の話で言えば、蜜蜂。
時計は、なにも、
僕のために、動いていたわけではないのである。

こちらの、内側の問題なのである。
言えば、気分、ということであるから、
場面、場面で、いい気分でいられれば、
僕など、それで、いいのである。

洋司