「カラマーゾフの兄弟」、
訳者による、
「ドストエフスキーの生涯」
「解題」
「あとがき」
ふくめて、ようやく読み終えた。
小説は、もちろん、すごいものであった。
電灯も電話も自動車もない世界であるが、
そこには、すべてがあった、ような。
聖書ファンとしても、ずいぶん楽しめた。
「生涯」や「解題」を読めば、
「カラマーゾフ」には、作者の自伝的要素が、
ずいぶんある、ということがわかって、
興味深かった。
長編を読んで、その気分に浸りながら、
しかし、一人でそれを抱えている状態の中、
「生涯」「解題」「あとがき」は、
良い友であった。
そうだよなぁ、そうそう、それそれ、
みたいに、共通の話題を、楽しめた。
それにしても、「解題」を読んでいると、
「曖昧さの自覚からくる、不完全燃焼の憎悪」とか、
「ポリフォニー性とは、真実の様々な層同士の対話」とか。
「友」として、そんな言い回しが出来たら、楽しいなぁと、
思うことであった。
こっちは、
そうそう、それそれ、うんうん、って、
相槌ばかりなのである。
洋司
訳者による、
「ドストエフスキーの生涯」
「解題」
「あとがき」
ふくめて、ようやく読み終えた。
小説は、もちろん、すごいものであった。
電灯も電話も自動車もない世界であるが、
そこには、すべてがあった、ような。
聖書ファンとしても、ずいぶん楽しめた。
「生涯」や「解題」を読めば、
「カラマーゾフ」には、作者の自伝的要素が、
ずいぶんある、ということがわかって、
興味深かった。
長編を読んで、その気分に浸りながら、
しかし、一人でそれを抱えている状態の中、
「生涯」「解題」「あとがき」は、
良い友であった。
そうだよなぁ、そうそう、それそれ、
みたいに、共通の話題を、楽しめた。
それにしても、「解題」を読んでいると、
「曖昧さの自覚からくる、不完全燃焼の憎悪」とか、
「ポリフォニー性とは、真実の様々な層同士の対話」とか。
「友」として、そんな言い回しが出来たら、楽しいなぁと、
思うことであった。
こっちは、
そうそう、それそれ、うんうん、って、
相槌ばかりなのである。
洋司