なんでもない時でも、
そっと微笑んでいる人など見ると、
こちらも、やさしい気持ちになるものである。

僕などは、日ごろ、
不機嫌そうな顔をしているかもしれない。

先日、地下鉄に乗っていると、
ちょうど、その時の僕の服装とよく似た服装の、
多分、年齢も、背格好も同じぐらいの男性が、
不機嫌そうな、
あるいは、わざとそうしているような、渋い顔をして、
態度も、どことなく投げやりな風で、
シートに腰をかけていらっしゃったのである。

ほぼ向かい合わせで座っていた僕は、
思わず、座りなおした。

向こうの窓ガラスに映る自分の顔が、
怖い顔になっていないか、確認した。

その男性は、ある駅で、降りられたが、
その時に、となりでうとうとしていた、
お連れの方の肩を、そっとたたいて、
着いた、ということを知らせてから、
さっと、立たれた。

やさしい方なのかもしれない。

やさしいくて、気の弱い人がふてくされていて、
本当は怖くて、気の強い人が、微笑んでいる、
などということでも、ないのであろうけれど、
つい、緊張やら、考え事やら抱えていると、
眉間にしわ、ということも、ありそうである。

太宰治の「畜犬談」では、
犬が苦手な主人公が、
犬に嫌われまいと、犬の前で、満面に笑みを湛え、
それだけでは微笑んでいるように見えないかもしれないからと、
無邪気に童謡を口ずさんだりするうちに、
逆に、町中の野良犬から、好かれた、
などという、書き出しである。

面白いことを思い出すと、
その場に、面白いことがなくとも、
つい笑ってしまう。
レモンや梅干みたいな。
犬つながりで言えば、
パブロフの、ということになるけれど、

どんなときでも、それさえ思い出せば、
微笑むことが出来る、という、
それを一つ、携帯しておこうか。

洋司